7-2:会員制のような高級ホテル
5:むろんリッツパリは会員制ホテルではない。しかしながらあたかも会員制のように使われる一面があった。
著名人がさながら「下宿」するように長期滞在し、また、固有名詞をバーの名称に付し、数多くの元首がたびたび訪れ、また、映画や小説のシーンに描かれる。いささか嫌味を感じないでもないが、施設と「生活」が一体になった、利用者から見れば、まぎれもなく、熟した「行動空間」になっていたことである。都市ホテルであるが、リゾート機能をも備えていたといえよう。こうなると利用者は「会員」感覚ではなかろうか。
6:リッツ個人は普仏戦争、第一次大戦を経験するが、創業期の時代も良かった。1900年の第5回パリ万国博覧会を一つの頂点に、ベル・エポック(Belle Epoque、仏:「良き時代」)であった。普仏敗戦、パリ・コミューン混乱、安定しない第三共和制など不安材料が多いが、産業革命後に芽生えた消費の興隆がフランス経済を活性化させた。そのなかでのいわばrefinementの追及であった。
ためしにGoogleでRitz ParisとWilhelm IIで検索したときの画像
7:オーギュスト・エスコフィエ(Auguste Escoffier、1846~1935年、以下エスコフィエ)との出会いである。のちにヴィルヘルム2世(Wilhelm II., 1859~1941年)から「料理人の王様」≪ roi des cuisiniers ≫と呼ばれた。その先駆者はマリーアントワーヌ・カレーメ(Marie-Antoine(Antonin)Careme, 1784~ 1833年)であるが、エスコフィエはカレーメの精巧で華やかなスタイルを単純化・近代化した。またレストラン経営者であり人材育成に努め、また、厨房を組織化し旧弊を排除するなどの業績があり、業界では神格化されている。要はエスコフィエは合理的な精神の持主で、リッツが彼を共同経営者格に据えたのは、偶然の引き合わせとはいえ、リッツ本人にとって幸運だった。
8:Ritz Parisは再度修復され。2016年に再登場した。エジプトの事業家Mohammed Al-Fayedは、1.4億ユーロ、建築家800人、職人45組合、Bouygues Construction(仏大手建設)が率いる大プロジェクトとある。これについての要約作業はまた別の機会に譲ろう。
Ritz Parisに凝縮されたrefinementあるいはeleganceは、伊藤與朗や伊藤勝康との議論により、「センスの良い高級感」に翻訳され、そこに具体の開発用地や施設の目的に沿った解釈が加わり、ひとつに融合してコンセプトができあがったのではなかろうか。
選ばれた設計家や室内スタイリストたちは、そのコンセプトにより指示されたことを、自らの感性や技術により具現化して、京都八瀬や湯河原の離宮シリーズのなかに浸透していったと推測する。それは単に室内や建物のかたちのみならず、スタッフが提供するサービスとあいまって、会員や利用者が立ち振る舞うすがたにも反映されよう。
こうした視点から、京都八瀬や湯河原の離宮を紹介するのは、はなはだ楽しみである。
おなじくGoogleでRitz Parisを検索し、さらに「Lobby」で検索したさいの画像例
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