◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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【4】エクシブ湯河原離宮と設計 

4-1:湯河原離宮のかたち

 旧天野屋は完全に解体され、変身して「エクシブ湯河原離宮(以下湯河原離宮)」が登場した。同社広報によれば、総事業費約263 億円、総客室数187 室で2017(平成29)年3月に開業、設計監理は㈱観光企画設計社、㈱安井建築設計事務所、㈱日建スペースデザイン、施工は鹿島建設である。
             

 「湯河原離宮」は旧天野屋とは似ても似つかぬ「かたち」になった。1000年史の京都においてさえ「グローバル京都」を取り入れようと考えた。
旧天野屋がいかに銘木をつかっていたとしても、その空間が今の時代に提供できるサービスはせいぜい建築史的資料でしかない。「記録として図面を残すか…」という町役場のかつてのコメントは、的を射ていたことになる。
 旧天野屋で良かれとされた空間を参考にしたのでは、現代の会員のニーズには応えられない。それならば、旧天野屋の跡地に、「センスの良い高級感」、「Villa d’EsteやRitz Parisに凝縮されたéléganceやeleganza」を、どう表現しようとしたのか。及ばずながら追跡しよう。 

4-2:リゾートトラストと観光企画設計社

 観光企画設計社(以下KKS)は、XIV第一号の伊豆から「湯河原離宮」に至るまで、軽井沢、山中湖、蓼科、鳴門、浜名湖、箱根離宮、東京ベイコートなど、多くを設計している。
KKSの出自はユニークである。ホテルオークラは大成観光(大成は旧大倉財閥創始者大倉喜八郎の戒名につけた院号)が経営したが、その設計部長として就任した柴田陽三が、同社を退職した後に創立したもので、ホテルに特化した設計事務所だ。
その設計は5名からなるチームで、中心は谷口吉郎(東工大教授で東宮御所を設計)であった。その概要が一段落した段階でチームは解散され、9名からなる新チームができ、その事務局役の設計部長に柴田陽三が選ばれ、坂倉準三(東大工卒後渡仏しパリ工大からル・コルビジェに師事)事務所から移籍した。この人事を実行したのは岩田岩次郎(日綿ニューヨーク支店から数奇な運命を経て終戦後GHQのもとで財閥解体作業に従事、後に大成観光社長などに就任)である。柴田は1962年にホテルオークラがオープン後、札幌ロイヤルホテルの設計を依頼されるに及び、KKSを設立し、50周年を迎える9年前の2003年に死去している。
 KKSの行動規範は不易流行(constancy and change)。変化に適応しつつ本質的な物を忘れない、新味を求め変化を重ねるというような意味である。KKSの企画、2番目の「K」の意味は、単に絵を描くことではなく、ホテル建築の採算性をまず考えてから設計に入るという手法を指している。これは極めて重要なことで、ホテルという固定資産の塊が、流動化していく長い年月が耐えられるか、その基本の考え方を提示している。
 KKSはとくにアジアに注目、アジアの成長とともに伸びていく意識を明確にしている。これからは日本の市場に参入するフォーシーズンズ・ペニンシュラ・シャングリラはじめ5スタークラスのホテルが続き、逆に、ホテルオークラやJALホテルのように海外展開も盛んになる。かかる国際的事業環境のなかで、KKSはユニークな地位を占めていくであろう。    
   1953年に開業し、札幌ロイヤルホテル(建築・室内)、川奈ホテル増改築(総合設計監理)、ホテルニューオータニ(基本設計コンサル)、インドネシアのホテル(室内設計)、赤倉観光(建築室内設計)など、オークラ系の仕事が多かったが、現在に至るまで、日本国内120件、中国95件、その他海外70件となる。このなかには長年注力したXIVや郭鶴年のシャングリラホテルが含まれる。
 かくいう筆者もささやかながら、上海の花園、シンガポールやクアラルンプールなどのシャングリラや、済州島やソウルの新羅などオークラ系のホテルは、何度か利用させていただいたことがある。柴田の息がかかっていたであろう。「インテリアデザインの多様な新しい展開」のところで、鳴門・山中湖・軽井沢の各XIVサンクチュアリヴィラや東京ベイコート倶楽部のフロントの空間を「ヨーロピアンオーセンテック」、「箱根離宮」を「スタイリッシュモダン」と分類し例示されている(出典:『KKS GROUP 50th ANNIVERSARY』建築画報社、pp28-29)。
4-3:観光企画設計社が提案した「尾形光琳」

 観光企画設計社(以下KKS)が湯河原を議論したのはリゾーピア箱根の改修プロジェクトに携わった折という。この改修は、2013年1月~2013年4月、総客室171のうち97室を改修、KKSの設計、淺沼組・高島屋スペースクリエイツ・きんでんが施工した。
   築後29年維持されたオーセンティックなコンセプトのもとで、客室ハイグレード化と露天風呂新設、大浴場レイアウトの見直し、エステ・カラオケ・ショップなどアメニティ施設、大浴場への館内最長動線約100mの意匠考案を行ったとある(公益社団法人国際観光施設協会から要旨抄述)。このとき、伊藤與朗が現地を訪れ、湯河原を話題にして、ブレーンストーミングになった。
 以下はKKSの語るところだが、湯河原は良い温泉があって芸術家や軍人が長逗留し創造的な仕事をした。創造的文化があるところだ。それを認めたうえで、日本人の「侘び」「寂び」を、織田信長に倣って破壊的創造をして、あたらしいものが出来ないかだろうかというような問題提起だった。
 これに対し、KKSは、京都の町家の出自で自由に芸術活動をした、江戸時代初期の扇絵職人の俵屋宗達や、宗達に影響を与えた元刀剣鑑定の本阿弥光悦を持ち出した。
光悦は徳川の治世に批判的な後水尾天皇の支持があった一方で、1615年に徳川家康から用地を拝領し鷹峯(京都市北区)に「光悦村」を設け移住した。2015年には400年を迎え記念行事等も盛んに行なわれた。
 また、江戸中期に出た尾形光琳は宗達に私淑、後年一連の作風を「琳派」と呼び、1873年ウィーン万博に出展の「紅白梅図屏風」を通じて欧州画壇に知られ、たとえばグスタフ・クリムト(Gustav Klimt, 1862~1918年、オーストリア画家)の作風や、当時のパリで発生したジャポニスム(Japonisme)を通じアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)にも影響を与えた。
 こうしたことを話題にすれば、アール・ヌーヴォーからアール・デコ(Art Déco)に及び、パリの草花モチーフからニューヨークの幾何模様へと広がり、不況を経て登場するモダニズム建築と、その批判に使われるクラシック回帰的手法にもアール・ヌーヴォーやアール・デコが好みに応じて使われ、ポストモダンに及び、夜を日につないでも尽くせず、現代建築とモダニズムを「総論」したであろう。その結果、「琳派モダン」というコンセプトの萌芽が出てきた。
急傾斜と藤木川にはさまれ、かつて文人墨客に好まれた旧名門旅館の跡地に生まれるリゾートの空間に、「琳派」の躍動を取り込む。その可能性を伊藤はKKSに問うことになった。
 リゾートトラストの総資産4,216億円(第44期連結貸借対照表)の信用の表象である伊藤としては、湯河原の空間がまだ見ぬ会員に対し提供するサービスのグレードや具体の内容を決定する職務がある。その提供は、極めて長期にわたるし、その間、あらたな世代の会員が登場する。単に琳派の作品の一部や作風をコピーし、貼り付け(ペースト)すれば済むものではありえない。