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関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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   *川奈ホテルゴフルコースと135号線海寄りの開発用地
   その意味では「川奈ホテルゴルフコース」は例外的な存在である。大島コースの創設は1928(昭和3)年。事業者は大倉喜七郎でむろん大倉組直営で始まった。

   最初、初島に馬場のような施設を考えていたようだ。エピソードはきりがないほどたくさんある(大倉雄二『男爵 元祖プレイボーイ大倉喜七郎の優雅なる一生』文藝春秋、1989年)。また、日本経営史や観光史・ホテル事業史の枢要なテーマのひとつでもあるので、そちらにお任せしよう。
   1921(大正10)年には、公有水面埋立法が成立していたが、用地の大部分は崖の上だ。まだ、鉄道もないあの時期ということもあるが、過疎地域に上手に開発用地を見つけた。
   左図は上空から見た画像である。右上の破線で描いた〇印が、夷子神社の位置である。その位置における地上の画像を下に掲載した。
   下の写真の中央にある建物の左側が海、右側の森の部分が川奈ホテルゴルフコースの事業地である。この森が保安林とか地域森林計画対象民有林かはわからないが、おおむねゴルフ場の所有であろう。
   この森林を伐採してまで、フェアウェイを確保する必要もない。そのうえで水際線とゴルフ場用地は接していない。
   すくなくも、下の境界例でいえば、春分の満潮時に水際線が森の部分まで押し寄せることはなさそうだ。よって、森林が公有水面としての海浜地にはならないため、私有も可能である。あとは、せいぜい、魚付き保安林に指定される程度である。

  また、改めて鳥瞰図や、下の拡大図をみても、漁港に適した入江はなく、あっても崖の下で漁港にはなりにくい。
   下水の処理がきちんとなされていれば、漁業補償もなしで済みそうだ。
 これだけの崖に縄文人が住むとは考え難い。「埋蔵文化財包蔵地」として周知されていたということもなかろう。
 むろん、許認可のことだから、何が妖怪が出てくるかもしれない。が、大倉はうまい用地を探してゴフルコースに仕立てたといえよう。

 *大倉商事の破たんと維持できなかった「川奈」
   ただ付記すべきは、終戦時の財閥解体があったとはいえ、また、90年バブルの資産デフレのあおりを受けたとはいえ、さらに元祖プレイボーイかもしれないが、それ以上に、日本のリゾートビジネスでは原点に位置する大倉喜七郎、あるいはその後継者でも、日本のゴルフ業界きっての名門ゴルフ場の事業の継続は難しかったことである。
 1998(平成10)年、大倉商事が自己破産、2002(平成14)年東京地裁へ民事再生法を申請し経営破綻した。負債総額は670億円という。大倉の破たんにしては少ない額である。

買い手はいくらでもある感じだが、紆余曲折を経て堤義明の「コクド」が220億円で引き取るも、その堤も西武から外され、いまや外資系のヘッジファンドの手中にある。
   収益に比べ、過大な固定資産を抱える宿命は、リゾート施設の場合、不可避である。バブル期の川奈は、正月元日の第一組の「オナー(最初にティーショットをする人)」は誰かが話題になっていた。時節柄、プレミアムがついていたのかもしれない。
   品格と人気を備えったはずのゴルフ場だった。本来パブリックコースで運営されていたが、1984(昭和59)年に独自の預託会員制を導入、また、預託金返還延期を図るなど、あれこれ業態を考え、実行したのだろうが、その維持は難しかった。
   大倉財閥は、 新潟・新発田から江戸に出た喜八郎が 1858年に開業した乾物屋に始まる。 35歳の折に洋行を敢行、帰国後73年、東京銀座に貿易商社を始めた。翌74年にロンドン支店を開設(日本初という)、日清戦争の戦時物資の調達に従事し、 93年に合名会社大倉組を創設した。
   貿易事業の一方で、土木事業に進出し、大倉組土木(現在の大成建設)を設立した。
   東京最古の地下鉄は、1927(昭和2)年の、早川徳次による銀座線(浅草 - 上野間)であるが、この土木工事は大倉組土木も従事しているはずだ。 
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