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㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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1:マロニエから下呂を眺める


1:格別なマロニエからの下呂の眺め

 オテル ド マロニエ下呂温泉の紹介に入る前に、マロニエの客室から遠望する下呂市内を紹介しよう。人口は合併して旧下呂に萩原を足してやっと3.6万人。その温泉街やその静止画は見ても1分ももたないのも確かであり、それよりも、東の山の端にゆったりの月の昇る一瞬の方が、まだしも趣きが深いのではあるが、実は1000年に及ぶ確執の果ての画像となれば、ご紹介する意義があろう。
    
      
【01】マロニエの客室からある日の早朝の平凡な光景
                    
【02】客室から見えた山の端から登る一瞬の満月

 
  マロニエのお客さまにはご滞在のうえ、これを鳥のごとくに観られ、まさに下呂温泉を舞台とした「飛州下呂三湯伝」を鳥瞰され、日頃のお仕事のご参考に供していただければ、書き手としては幸甚の至りである。
 三湯とは時代で変貌するが、もともとは下呂の温泉とは、益田川の河原に湧き出る(自然湧出)湯のことで、湯之島村本組が「マネジメント」し共同浴場を運営していた。しかし、時代が下って、河原から岸に揚湯(掘削動力揚湯)が可能になると、共同浴場の位置をある程度選べるようになる。1ヵ所だった浴場は、1916(大正15)年に二派に分かれて、一に湯之島の薬師、二に白鷺となる。対岸の湯之島村分村の幸田は指を噛んで見ているだけだった。
 しかし、数年後の1930(昭和5)年に、鉄道省下呂駅が幸田にできるとなると、おそらく180年ぶりに失地回復に目覚め、第三の幸田が登場した。下呂駅から若干下流に「六見橋」が完成する。それから、下車客の通り道になる旧森村が目覚め、第四に新市街地(現在市役所のあるブロック)の森が出現する。プレーヤーは4派となるが、戦後は、薬師と白鷺が一派にまとまり、一に湯之島(薬師・白鷺)、二に森(新開地)、三に幸田となる。
 江戸末期、明治初頭の行政区分でいえば、一は湯之島村の本組、三は湯之島村の枝村、二が森村であり、一と二が益田川の東側(下流に向かって左側)、三が西側(右側)になる。ちなみに、マロニエは西側の西上田村にあり、三すく身の外にあるので、高みの見物ができることになる。
              
【03】現代に残る湯之島・森・幸田の地名(googleから)
1の続き:意外にも現代の主力は崖っぷちに

 下呂の本丸・湯之島、その中央に位置するあまたの旅館が主役ではある。しかし、湯之島は名古屋の岩田武七、幸田は一宮の滝此七が象徴的人物で、ともによそ者である。
 湯之島の随一は岩田が創業した湯之島館(湯之島東崖下)、幸田は滝の創業になる水明館(湯之島の対岸)、である。そして下呂観光ホテル(幸田西崖下)も長坂正恵が日本旅館国際女将会副会長(2012年度)を務め、ryokanを国際語にするべく頑張っている。ただ、いずれも湯之島の中央にはない。河川を挟んでその両側の崖淵にある。
           
                               【04】現在の案内図
 中央の益田川上部が湯之島本村、その上端に湯之島館、川の下部、右端に水明館、左端に下呂温泉ホテルがある。マロニエはさらに左に位置する。
 

【05】 *昭和10年の下呂案内図(下呂温泉博物館藏)
 
 ついで、河川の位置を確認する。御岳山系の下呂御前山(げろごぜんやま)・空谷山(からたにやま)あたりを源流とし、阿多野谷を通り湯之島橋を経て益田(ました)川(飛騨川の別称)に流れる河川は、手元の地図を見ても名前の記載がないのでX川としておこう。昭和10年の案内図にはアタノ谷とある。 益田川を挟み、おおむね東側が旧・下呂町、西側が旧・萩原町(ただし幸田は旧・下呂町)である。 我がマロニエの立地する西上田は旧・萩原町となる。東側のうちX川から北の部分が湯之島、南が森、そして西側は幸田と呼ぶ。


 
【06】明治初年山絵図(徳川林政史研究所藏) 
 
 ただし、徳川林政史研究所の山絵図(明治初年)によれば、幸田も湯之島村の一部である。益田川下流に向かって左岸にある湯之島村南側が森村となる。
 益田川の河原に涌出(自然湧出)する温泉は誰のものか。マロニエの客室から下界を遠望され、益田川の蛇行と川幅をじっと眺めて、ご滞在客各位には、この1000年の間の益田川の氾濫をご想像いただく。
 氾濫は河原の温泉を破壊する。その修復に資金がいるが、だれがどう負担するのか。そして涌出する位置も変わるので、益田川の河原の湯は、湯之島村本組のものか、枝村の幸田組のものか、大きな問題になった。
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