◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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略史6

 

 11★旦那衆の勃興とは田畑貯蓄? 

 いま1888(明治21)年9月に発刊の『商工技芸飛騨之便覧』に掲載された商人のリストがある。このなかで、矢島姓は高山町の黒鉛山並に製造場の備区人矢島謙次郎、川上姓は三の町四丁目の塩ならびにしまひる商・御休所の川上喜三二、二之町の魚問屋と内国通運会社高山支店の川上哲太郎、屋貝姓は見当たらず、永田姓は高山電信局前の三星製糸場・三星織工場の永田吉衛門である。姓だけでピックアップするのは乱暴にすぎるけれども、江戸期の豪商は、明治期には地主に変身し、商工技芸を営む者は少なかったようだ。
 高山の感想を紹介するホームページのなかに「旦那衆の勃興と崩壊」がある。残念ながら著作者不詳なのでXとしておこう(出典:
http://www7a.biglobe.ne.jp/~fujii/s_dannabokkoutohoukai.html)。
 X説の要旨は、高山豪商サクセスストリーは、大名貸で儲け、これを田畑に換え(つまりは田畑で貯蓄)、大地主となって明治維新は乗り切ったものの、大東亜戦争終戦後の農地解放でとどめを刺され、また、材木、鉱山、生糸などの実業に手を出した者は、高いリスクに耐えられず勃興も早かったが没落も早かったというものである。
   また、Xは、明治維新を生き残った豪商たちが、1947(昭和22)年の農地解放後35年を経てどうなったかを調べ一覧表にしている。それによれば、土地を手放した「豪商」の商いは概ね低調であった。あえて集約するなら、高山の「豪商」は小作の上りをあてにする大地主であった。飛騨も生糸は盛んであったが、固有のリスクを消化して、信州の片倉や丹波のグンゼ(郡是)のような規模にはならなかった。それも頷けるところであって、それゆえに高山の町並みが生き残ったのかもしれない。

 
*永田家の三ツ星製糸場