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㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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略史4


07★第12代代官大原彦四郎の「大原騒動」 

 先の菱村正文によれば、幕府の郡代代官が支配した直轄領は、1716(享保元)年から1726(享保10)年の平均で約412万石(取り米で139万石強)、飛騨における粗米取高は幕府全歳入の1%程度。経費倒れの感なきにしもあらずだ。それにもかかわらず、金森氏なきあとの飛騨に、明治が始まるまでの190年間、代官・郡代合わせて25名が任命された。
 狙った金山は当てが外れ、森林経営が目的となるが、江戸から赴任する官僚が、そうそう旨く森林の経営ができるはずもない。代官所は旧金森藩の下級役人を引き取り、結果的には金森流森林経営を引き継いだ。
 順々と金森手法に従っていれば事なきを得るはずだったのに、12代代官大原彦四郎のとき「大原騒動」が起きる。1771(明和8)年から18年間に及ぶ大々的な百姓一揆である。事の起こりは、上司である江戸の勘定奉行の命により、地元の山形衆に、御用木元伐の休山命令を出したことによる。休山ということは、従って元伐払下米も中止になる。あてにしていたコメが入手できなくなる。彦四郎にしてみればOKYであったかもしれないのだが、逆に上司の勘定奉行の命に忠実に職務を推進した。
 その結果、現金収入というか食糧を閉ざされ、怒った現地住民は江戸に直訴をしたり、一揆をしたり、検地にたてついたりしてさんざん抵抗した。大原はこれを直ちに実力で鎮圧、死罪がでたりしたが、当の大原は一揆鎮圧の功績を認められ、初代郡代に格上げされ、俸禄も400俵(250俵加増)、しかし眼病をわずらい1779年に病死してまった。

 
08★第13代の大原亀五郎の苛斂誅求 

 その子の亀五郎が1781年に郡代に就任(初代代官から数えて第13代)し、免職流罪になる89年まで在任する。亀五郎は、どういう動機からか、農民から618両を借上げ、かつ天明飢饉で免除された年貢を私有、さらに近郷の資産家から都合6000両を借上げ、かつ返済しないという愚挙にでた。
 たまりかねた領民は死罪覚悟で直訴を繰り返す。ついに、老中松平定信の知るところとなり、亀五郎は免職・八丈島流罪となり、郡代役所の役人や関係者多数が処分された。事態収拾のため、1789年に第14.代として飯塚常之丞政長が郡代に就任、11年間在任した。名郡代と評される。
 彼は、郡代役所の地元採用職員があまりに微禄ゆえに不正に走る。そして大原騒動のもとになるような事件を起こすと見抜いた。職員84名中、下から2番目のランクで43名いた口留役で6俵3人扶持(元禄7年の高山の米相場による菱村の計算だと8石相当、年俸4両半。乱暴だが10㎏5000円の白米に換算しても、年俸40万円にもならない惨憺たる数字であった。
 そこで飯塚は現地役人の給与を引き上げ約140%から250%に増額、また、給与体系をいわば職務給とし、本給は一律25俵に改めた。その口留役の年俸は100万円くらいにはなったはずである。

  

  
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