1-2:景気の逆風に備えて慎重に対応
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Q:その時代の経済状況も関係してくる。
A:会社の創立は1973年4月。いきなりオイルショック(いわゆる昭和50年不況)に襲われた。わっと上がってストンと落ちた。ひるがの・ヴィア白川(1974年12月開業・サンメンバーズ)ともに良く売れたけれど、その分キャンセルも相次いだ。金利は高かった。会社に資金がなかったから個人的に工面してつぎ込んだ。
Q:理想に近づいたのは
A:オイルショックを引きずってきた。抜け出したのは山中湖(1993年開業・252室)あたりからだ。関東では伊豆・軽井沢をやって次に山中湖。そろそろ良いだろうと思って再スタートしたら、こんどは90年バブルの崩壊に出会った。理想に近い物を求めた瞬間のバブル崩壊だった。山中湖と同時に白浜アネックス(93年開業144室)も作った。また苦労した。
Q:逆風が吹いた。
A:大きくやったところが潰れた。トマム、ハウステンボス、シーガイヤ。マンションの大京も派手にやっていた。羨ましいと思ったときもあったが。
(注) トマム(1983年開業・87年ザ・タワーⅠ・98年アルファ・コーポレーション・負債1061億円・自己破産)、ハウステンボス(1992年創業・負債2,289億円・2003年会社更生法)、シーガイヤ(93年創業・99年45階建744室・ホテルオーシャン45・負債2,762億円・2001年会社更生法)、大京観光(1964年創立、04年産業再生機構による支援)。
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Q:いま例示された倒産事例に共通するのは収益不足。事業計画の基礎となる構想がどのように描かれていたのか。トップバンクが融資していながら安易だったのであろう。その点、代表はきちんとしていた。ゆえにいまがある。
A:当時、知人から「伊藤さんのところはなぜ倒産しなかったのか」といわれたものだ。いろんな話はあったが手を出さなかった。慎重に対処した。会員制だから部屋を買っていただく。ある程度売れてからつぎの開発に向かう。
Q:事業全体の状況が瞬時にパノラマのように浮かぶ。
A:そう簡単ではないが、いずれにしても、用地も一か所だけではない。会員も複数個所を利用する。会員のこころを推し量りながら、こだわってきめていく。会員が利用するのはひとつだけではなく、ほかの施設も使う。関東・中部・関西の各ブロック間のバランスを取りながら、ブロック内の一つひとつに魅力を出していく。こうした組み合わせがシナジー効果を生む。したがって用地の選定は非常に重要だ。
Q:おのずから慎重になってくる。
A:場所にあわせてホテルのコンセプトをすべて変える。会員から見れば同じものを造ったら面白いとは思わない。ホテルAに滞在した会員がホテルBを利用したときも、同じようにしか受けとめなかったら面白いとは思わないであろう。コンセプトは変えなければならない。しかしそう勝手に変えられない。土地に合わなければ魅力はない。あたらしいコンセプトに合った用地を探すこともある。しかし土地にあわせすぎてもよいとは限らない。次はどういうコンセプトでくるのか会員はみている。なにかネタが必要だ。このあたりが難しい。周囲がそろそろネタ切れというとき頑張って考える。設計の前のコンセプトが重要なのだ。設計の前にコンセプトを決める。コンセプトに沿って設計する。これが大事なのだ。
Q:まさに同感である。建物や内装の設計者に渡す前のコンセプトの形成こそが究極の設計であって、その後の設計工程は徐々にルーチンになっていく。
A:コンセプトを考えるとき、海外のホテルが参考になる。名古屋では都ホテルを設計した村野藤吾という有名な建築家の訪問を受けたことがある。彼が大切にしていたファイルがあって、それを見せてくれた。海外視察したときのホテルはもとより、ホテル以外の写真も、たとえば外装の看板から階段の手すりに至るまで画像が詰まっていた。その手すりもたくさんの種類のものがあった。そこからいろいろなヒントが出てくる。それを膨らませて提案していく。ささいなことからもヒントを得てホテル全体が出てくることもある。なるほどと思った。
(注) 村野藤吾(1891~1984年、55年日本芸術院会員、67年文化勲章・代表作例・日生劇場・1963年築)。名古屋では錦通りの名古屋都ホテル(1963年開業・2000年廃業・撤去)の意匠設計を担当した。
Q:写真を撮って整理するかどうかは別にして、過去の経験からヒントを得ている。そういう意味では代表も同じことをしている。
A:わたしはプロではないが・・・。