【90年バブルと資産デフレ】
*バブルの大波が到来
平日は暇で土休日は多忙だった。繁忙期と閑散期は明確に分かれていた。しかし会員が増えると施設も増え、色々なことができるようになった。たとえば、ワンルームマンション事業に進出し、また、大阪・新御堂筋や札幌でホテル事業を実施した。
1986(昭和61)年に買収した箱根パウエルにアネックスを増築した。その竣工は1988(昭和63)年であった。過剰流動性で日本経済は、バブルの上り坂を登っていった。
佐々木は資産バブルは予感していた。しかし、東京信用販売の貸借対照表の資産(投資)と負債(預かり金)は、文字通りバランスがとれていた。だから「健全な状態」と判断していた。「うまくいっている」と思っていた。
しかし、あとから気が付くことになるが、資産の時価は、1990(平成2)年春先がピークであった。1月には、大蔵省の通達があった。
4月にゴルフ場のインデックスがピークになった。
*予想外の資産下落と預託金返還
その後に資産の価格が下落が始まった。これは想像以上であった。バブルが崩壊して、退会者が増えても、バランス上はいいという自信があったが、しかし徐々にひっくり返った感じでビクビクし始めた。
退会者の預かり金の返済について可能な限り応じるとしたが、資金繰りが厳しくなった。この頃会員権は350万円。230万円が預託金、90万円が入会金であった。
バブル崩壊後10年を経過、2000年前後から、ビジター(一般客)も入れだした。歯を食い縛って運営してきた。ネット客が増えた。いまは60%近い。ゴールデンウィークや夏正月は会員だけである。高く売れる時期が会員だけなので、売り上げは上がらない。 2001~02年にかけて預託金の返還に応じられなくなってきた。 230万円を2つに割って半分を保証金として10年間延長させ、残り半分は永久債として扱うことを考え、会員の70%が応じてくれた。会員歴の長い会員が多く、信頼関係ができていた。預託金の30%を返済するないしは50%を返済するという話し合いを続けた。
*寄付を募って露天風呂
2003~4(平成15~16)年頃、伊東で露天風呂を作ろうとしたとき、資金がなかったので、会員との信頼関係に甘え協力を仰いだ。
3,000万円が集まった。箱根で本館とアネックスに段差があり、冬季は寒いので渡り廊下をつけようとしたとき、工事代金の半分を寄付してもらった。それぞれ、その銘板が掲示してある。

■■