*秘伝の設計図集
02★「小京都」好みの金森長近 09
貧しい飛騨の国をそれなりに統治した大名に金森長近がいる。長近は美濃・多治見の生まれ、織田信長の臣、越前の朝倉攻めとその後の越前一向一揆鎮圧で越前・大野郡を攻略、1575年勝利の功により大野郡を統治、柴田勝家旗下となる。82年本能寺の変を経て柴田は豊臣に敗れ滅亡し、以来、金森は豊臣に付く。84年小牧・長久手の戦い、85年佐々成正征伐(飛騨国司姉小路頼綱討は佐々側)の功で越前・大野から飛騨・高山に移封され国持ち大名に、94年には秀吉の御伽衆を務めた。関が原では東軍・徳川方に付いて領地は安堵された。徳川体制では外様である。
福井市から東に約30㎞、電車で1時間ほど乗ると越前大野に着く。大野市は人口3.5万人の小都市だがここの街並みも「小京都」と呼ばれる。金森の大野統治はわずか10年だが、この間に、城のある亀山の下にあるいまの街並みの基礎を作ったという。その後の高山の街づくりと併せて、金森は「小京都」好みであったのかもしれない。