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㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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小豆島由来
 小豆島=北の土庄町+南の小豆島町 である.そしていまは小豆島町の方が裕福という。
 子牛の形をした小豆島だが、瀬戸内海の島で一番高い山、星ヶ城(ほしがじょう)817mが聳える。関東でいえば筑波山に匹敵する。この山なりの北側がいまの土庄町、南側が小豆島町である。長年の歳月を経て、島はやっと2町に集約できた。
 しかし、山脈を挟んだ南北は気質もだいぶ違うという。また、東側のひとびとは、大阪に近いという自負あろう。小金持ちなら土庄町、大金持ちは小豆島町という。小豆島町の醤油屋、オリーブ屋は無借金経営なので、内福らしい。確かに、ある醤油屋の彼などは、いかにも育ちの良さをにおわせ、人気者という。醤油もさることながら、醤油を作る場を背景とした居住まいが商品になる。豆が取れる小豆島だから醤油ができたのはなさそうだ。が、当世,商品として通用する醤油に仕立て上げるには艱難辛苦こそ不可避である.委細はつぎのページで触れ,ここでは小豆島の由来に触れる。

小豆はあずきのこと 
 陸前の名取や紀伊の名草・有田各郡には、小豆島村という地名があるが、あずきしま・あずしまと呼んでいる。小豆島は「小豆」の島かとおもっていたら、どうもそうでもないらしい。小豆とは「あずき」のこと。しかし、小豆島であずきが特産ではないらしい。「小さな豆」の島、「豆が取れる」小さな島の意味かもしれないと思うようになった。小豆島は瀬戸内海で淡路島に続いて2番目、全国でも19番目の島に入るという。小豆島は「小さな島」という意味なのだが、それは面積ではなく、意図するところは,島民の食糧(穀類)を自給自足できなかったことらしい。

小豆島なる地名の由来
 由来は古代の吉備国児島郡からはじめるようだが、いかにも煩雑なので、ここでは江戸時代辺りから触れよう。ざっとこんな感じである。
   江戸時代後期の領有状況
   【表・・・準備中】 
 この表をながめていると、小豆島は徳川一門というか、江戸幕府官僚の支配にあって当然という感じが見えてくるのではないか。代官所は官僚機構に組み込まれた出先機関であるし、この頃の高松藩は御三家水戸藩から出ており、四国大名の監視を兼ねたという。天保の伊予松山藩は15万石ながら、親藩でかつ御家門(久松松平家・家康の異父弟の家系)。津山藩もまた徳川一門。もっと詳しく見ていくと、好きな方なら時代小説が浮かびそうである。
 ペリー来航では開明的開国論を提唱した松平斉民は、1817(文化14)年、美作津山藩主松平斉孝の養嗣子。22年御目見。24年元服.父・家斉より偏諱を受け斉民.従四位上侍従・三河守に叙任。26年左近衛権少将。正四位上左近衛権中将、越後守。31年養父隠居により家督相続.32年初入国。藩の財政再建や教育に注力。55年養子の慶倫(斉孝の四男)に家督を譲り津山に隠居、確堂と称す。63年幕府年1万俵の隠居料を給す.家斉の実子の他に、誠実な性格で人望が厚いゆえという.65年江戸出府。維新の際に藩内混乱するも勤皇に統一。68年江戸開城.新政府は田安亀之助(徳川家達)後見人を命ず.養育に尽す.81年従三位.82年麝香間祗候。91年死去.家斉の子53名のなかで例外的に長命であった.天璋院と固い信頼関係にあったという(以上はおもにWiki)。
 天璋院(てんしょういん)は 篤姫.1836年生まれ.島津の一門の出、本家養女、近衛家娘を経て徳川家に嫁し13代家定の御台所.フィクションの題材としてはなかなかの人気者で.小説に『天璋院篤姫』宮尾登美子、講談社1984年刊、『天璋院敬子』梅本育子、双葉社1997年刊、『大奥』(2003年、フジテレビ、演:菅野美穂)、『篤姫』(2008年、NHK大河ドラマ、演:宮﨑あおいなどがある.
 
江戸末期-維新期の豊かさ
 そこで、小豆島の幕末‐維新の検地をみよう。
 【表・・・準備中】
(注)国名は讃岐、郡は小豆島。村名は維新初期のもの。支配者が倉敷県とあるのは旧天領。津山藩領分とあるのは、たまたまであろう.それ以外の時代に親藩支配になるなど多少曲折はあるが、おおむね天領が続いた。石高は小数点以下切り捨て。合計は小数点以下も算入した。出典:国立民族博物館データベース。