◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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【2】「八瀬離宮」と設計

2-1:リゾートトラストと日建設計

 たまたま「八瀬離宮」の設計に従事した日建スペースデザインの戸井賢一郎から話を聞くことができたので、今回はおもに「内装」を取り上げる。
 日建設計グループは日本の設計監理事業では最大規模にある。技術士と1級建築士をあわせて1,000名を超える。バルセロナなど7か所にリエゾンオフィスを、上海など中国3都市に関連会社をもつ。
その源流は、1900(明治33)年6月、住友本店に設置された臨時建築部であり、1945(昭和20)年、戦後の財閥解体で再出発した住友商事から分離独立した。住友商事の母体は日本建設産業、さらには住友土地工務、その端緒は大阪北港である。
 「我住友の営業は時勢の変遷理財の得失を計り弛緩興廃することあるべし」と商いの要諦を説きながら、「苟(いやしく)も浮利に趨(はし)り軽進すべからず」と抑制する住友の家訓は、日本の経営史にも貴重な思想のひとつを提供してきた。こうした背景もあって、戦前の住友財閥では「商事会社」の事業はタブーで、戦後にスタートしたため、明治期からはなばなしく成長した三井物産(戦後は第一物産など)や三菱商事(同不二商事など)に比べ「遅れてきた商社」になった。
 さて、日建は、一連のXIVシリーズのなかで1993年7月に竣工した白浜アネックスを担当していた。今回は13年ぶりになる。そして戸井をはじめ3人が担当した。2004年の頃、彼らはまだ30代の後半であり、戸井は「訳がわからず、夢中になって仕事をした」という。
冒頭にも触れたが、1987年、鳥羽に始まったXIVという高級会員制リゾートホテルは、鳥羽、伊豆、白浜(紀州)、軽井沢、鳥羽アネックス、淡路島、山中湖、白浜アネックス、琵琶湖、蓼科と一連のシリーズとなって続いた。21世紀の2001年に入り、初島・鳴門・浜名湖・那須白河に、マリーナ・ゴルフ場・スキー場などの付帯施設と組み合わせでた総合リゾートクラブのグランドXIVが登場した。
さらに2003年に隠れ家的な別荘を強調したサンクチュアリ・ヴィラが出現した。1974年、ひるがのから始まった会員制リゾートホテルの普及は、XIVに転じて高級化、総合化、個性化の道を歩んできたといえよう。「京都八瀬」の話が持ち上がったのは、ちょうどこのころであった。
 普及と高級化が第一世代とすれば、総合化と個性化が第二世代、こう考えれば、戸井は「京都八瀬から始まった離宮シリーズは第三世代に属するのではなかろうか」と指摘する。


2-2:第三世代論…設計者の視点

 戸井が「八瀬離宮」に縁を持ったのが2004年頃。彼が感じ取ったかもしれない「第三世代」を筆者なりに仮想してみよう。
90年バブルとその崩壊を生き抜き(あるいは90年バブルには関わりを持たずに)、90年代のWeb社会に向かう情報ネットワーク化に伴って起きた大きな変化、たとえばERP(Enterprise Resources Planning)のような統合データベースに適応し、一世を風靡したBPR(Business Process Re-engineering)の怒濤のリストラクチャリングを乗り超え、あるいはITバブルや為替変動をも自らのキャピタルゲイン獲得の機会とし、むしろ情報化やグローバル化を確実にビジネスの糧としたつまりは、あるレベル以上のなんらかの「勝ち組」が登場していた。彼らをイメージするに、80年代までに登場した「勝ち組」とは(その少なからざる人たちは退却していったのだが)、たいぶ価値観を異にしていた感じがある。
 あれから20~30年を経てAI、IoTが再評価され、ERPとは別のタイプの分散型ネットワークのたとえばブロックチェーン(Blockchain)が台頭して、金融業界始め「取引革命」が起きようとしており、現代はまた、あらたな「勝ち組」の登場を予感させる。むろん、今更こういうことを指摘しても単調であり、本当は、20~30年前のあの頃の息吹を、もっと上手に表現する言葉を探すべきなのであろう。
 要するに、会員が活躍した思想や時代背景が異なれば、リゾートに求めるものもまた変わってくるはずである。今度遊びに出かけようと思いたち、リゾートという空間を思い浮かべたとき、そこに求める内容やグレードは、これまでの「世代」とは違ったものがあるかもしれない。
 そうなれば、プロデュサーも設計者も、そうした変化は事前に探りあてていくことが必要だ。「八瀬離宮」のコンセプトをあらわす言葉のひとつに「クラシック・コンテンポラリー」がある。あるいはこの言葉にその回答が含まれているかもしれない。右図は「クシブ京都八瀬離宮 Sタイプ客室
 その頃、浜名湖が竣工していた。クラシックが続いたので、少しモダンにしたいという意向があったが、心配も多い。モダンにすると安っぽく見える、高級感が大切だが、モノが良くないと高級感が出ない。しかしいいモノを使えばカネはかかる。予算の制約がある。モダンでありながら高級感を出す。こうした制約のなかで、何ができるのか、ひとつひとつ必死になって考え、慎重に検討していた。
2-3:設計者の創意工夫 

 そのひとつの例がモールディング(moldingまたはmoulding)である。世界大百科事典によれば、「建築,家具などの頂部や凹凸のある部分に帯状に連続して施される縁どり」「枠どりの装飾」のことで、たとえば「壁と天井の接合部を明確に視覚化する」などして、「部材の接合部を美的に処理し,壁面を保護する役割」意味があるという。
 戸井はここで工夫した。「高級感が大切、部屋の装飾を考える場合でも、モダンな要素を取り入れ、モールで結ぶときも簡素化して小さいものを使い、かつ、それでいて安っぽくないようにした」という(◆画像参照)。この写真にはシャンデリアがあるが、モダンな雰囲気を出すためにモールディングの使い方を考えた。
 また、洋室のなかで和室が取ってつけたような感じになりがちだ。しかし、これは避けたい、和洋室での和の部分が洋室のなかに溶け込むように考えた。京都だからといって、伝統的な和室で畳や床の間という空間である必要はない。畳では洋室との境が断絶しまって、スムーズな連続感がでない。要は、入室した会員が歩いて小上がりのところに着いて、履物を脱いで、そのまま上がって寛げて布団が敷ければ良い。そこで、畳の代わりにカーペットかラグを敷いて、洋室との一体感を強調しようと考えた。和洋室の和室の部分から機能を探り出し、洋室と一体化を実現しようとした。
 京都・和室・畳としゃくし定規になる必要はない。世界のさまざまな事例を参考に、あるべき空間を考案し、それが会員の利用につながるなら採用する。「八瀬離宮」で考えた和室は、その後、箱根、有馬や鳥羽別邸、湯河原にも採用された。
このように戸井らが工夫を重ねて提案したモデルルームを、伊藤はさしてクレームをつけず採用と判断した。周囲の人は「これは珍しいこと」と評した。むろんそれで終わりではない。その後も、伊藤と戸井たちの間で切磋琢磨が続き、「離宮」の空間の「かたち」は具体化していった。
 エントランスやレセプション、主食堂(メインダイニング)など、会員が目を引くであろう個所を中心に、メリハリをつけた。たとえば椅子は何回も絵を描いては議論して図面を改訂し、中国・広州の近くにある工場に発注した。そこでプロトタイプを試作させ、また議論し改訂した。いよいよスケジュールが迫ってきたので、現地工場に出張し、缶詰になって試作品をチェックした。2005年の頃は、香港資本が広州付近に工場を作り、安い人件費で家具を製作して輸出していた。

2-4:グローバル京都に向けた意見交換

 京都をはじめて訪れる観光客には、これが京都という既製のコース、ガイドブックにある誰が見ても京都が説得力を持つだろう。しかし京都を観光地ではなくたびたび訪れるリゾートの場合は、京都それ自身は革新的な街で、ゆえに1000年続いたことに関心をもつはずだ。平安・鎌倉・室町とその時代時代の変化に適応してきた。
 適応するということは、みずからある部分を変えてきたことを意味する。したがって、京都らしい京都は必ずしも京都とは限らない。「八瀬離宮」の近くに修学院離宮(詳細は後述の資料編参照)がある。しかし、離宮であるからと言って、修学院離宮をモデルにしなくてもよい。これも地域とのかかわり方を示す重要な発想である。
したがって、戸井は、居室の空間にも、生き生きとした考え方を持ち込もうとした。こうした考え方は、「八瀬離宮」が続く限り、受け入れられるという期待に通ずる。第三世代のつぎに登場する世代にも受け入れられる「空間」をめざす。それは、単に物理的な部屋の広さとか、あるいは単純に計算した年代とか、必ずしもそういう尺度では測れない。そのような意味あいを持たせようと努力した。願わくは、顧客が感動するような空間を追求したい。その結果、かっこよさ、魅力、驚き、高級感のある「空間」、つまりは「センスの良い高級感」の実現に近づく。
 戸井はこのように考え、そして資料収集に努めた。世界にある著名なリゾートやホテルの空間を参考にした。世界のリッツカールトンやフォーシーズンズは、高級感とかグレード感を確かめるための「レベル」を提供してくれた。
 たとえば、ある著名なホテルのエントランスと光のビームに、何か特別に感じる瞬間があった。それは単なる知覚から認識に変わり、記憶に蓄積される。むろん、それをそのまま受け入れているという意味ではない。
 あるとき「八瀬離宮」のエントランスをテーマとするときその記憶は覚醒される。紙の上に「かたち」を描き、言葉を思い出しシナリオを重ねていくうちに、あるひらめきがあって、あらたな「かたち」が出てくる。収集した資料を参考に、「八瀬離宮」にふさわしい空間の案が議論される。仮にそれが具体化されたとしても、リッツカールトンやフォーシーズンズの高級感とグレード感には勝るとも劣るものであってはならない。ここに下限を設定する。設計者もプロデュサー同様に緊張を持続させなければならない。
 戸井は代表の伊藤にさまざま提案する。提案をうけた伊藤は持ち帰り夜通し考えたのであろう。「空間」にかかわるシナリオや絵図をおさらいする。朝早く電話がかかってきて、昨日の提案に対して、あれは良い、これはダメというコメントが入る。このような情報の授受が繰り返し続き、その結果、「空間」の全容が形成されていく。
 伊藤は戸井とのこうした情報授受の現場を指して「丁々発止」といったのであろう。施主とはいえ、日本で一流の事務所の最先端のプロを相手に、言いたいことを言うには、「勇気がいる」という。

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