◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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 *大倉でも川奈の維持に失敗
   しかし、大倉組土木は、大倉家のお屋敷お抱えの「棟梁さん」みたいな存在で、グループの中心ではなかったという。
   日清製油、東海パルプ、帝国繊維、日本油脂、新日本無線、日本化学工業、サッポロビールなどが傘下で育つ一方、観光事業に投資をし、帝国ホテル正統のオーナーであり、オークラ、雲仙、赤倉などのホテルを開業した。
   川奈はその先駆けで、まさに、日本のリゾート事業の元祖にして、ゴルフ場経営はお手の物のはずであったのだが・・・。
   終戦後の財閥解体にもめげず、生き残った大倉商事が、バブル崩壊とはいえ、こうもあっさりと倒産するとは、事業を維持することの難しさを物語る。グループ間で互いに助け合うというような発想は、もはや実務的ではないのかもしれない。
   大倉系の資金繰りの担保にはいってつぶされた。まじめに会員制を維持したら続いたかもしれない…という仮説は、そう安易には捨てられない。
   財閥解体の折、総務課長として事務処理をしていた某氏(お名前を失念してしまったが)は、ある研究会の席上で、「大倉組には金融機関がなかった」「それでホテルのような固定資産に投資をしていった。これが果たして良かったかどうか」と語っていただいたことがある。
   ゴルフ場事業の魅力は預託金という無担保・無利子の負債が、会員権価格次第で無期限になる。あくまで「会員権価格次第で」という条件があったが、事業計画の段階ではこのテールリスクを一流の金融機関でさえ無視した。
   この事業の難点は生み出す収益が過少なことだ。関東地方だと年間入場者は5万人/18H。資金繰りは簡単に予測できるが、少々瑕疵があっても、貸借対照表の魅力(負債=預託金=無利子・無担保+無期限≒自社のかね風≒資本増=非課税)には勝てなかった。
   破たんの整理の理論は、財務会計ほのかに民法が加わり、縦横に展開される。たとえば、以下のレポートは興味深い。
   西村國彦・栗橋孝芳(さくら共同法律事務所)「企業再生・ゴルフ場の再生のプロたちが語る(第2部)ゴフル関係者は、100年に1度の経済危機をどう乗り切るべきか」 21年5月25日。
   しかし、川奈ホテルゴルフコースの場合、どう議論されようが、遠巻きに見ている限りは(細部のメンテナンスは容易ではあるまいが)、その固定資産は人間に対し、本来提供すべきサービスを可能とする「姿」「形」で、厳然として残っている。不思議なことだ。
   国道135号線(川奈ホテルゴルフコースの通りは109号線)沿線の事業は、このような示唆を事業者たちに与えているのではなかろうか。
   また、つぎに登場する佐々木亨は、日本の高度成長期に、アメリカはじめ国際市場で鉄鋼ビジネスに従事したビジネスパースンである。畑違いのリゾートクラブ事業で描いた「ビジネススキーム」「ビジネスの構図」は、往年の鉄のビジネスとどのように違って映ったか、語っていただく折があること期待してやまない。 
   このことは本稿筆者が抱くテーマである。日本のファッション衣料が外国ではさっぱり売れない(ファーストリテイリングは出藍の誉れとして)のと同様に、日本のリゾートビジネスも国際市場でははかばかしい浸透はみられない(1973年ごろから始まった東急の米シアトル郊外・ミルクリーク開発プロジェクトのような興味深い成功例もあるのだが・・・)。あるいは、ランボルギーニやフェラーリのようなクルマの生産販売事業が苦手なのと、どこか共通するのかもしれない。
   リゾート開発と事業化には固有の難しさがある。これは得意の絶頂であろうトランプ(Donald John Trump)とて同様である。

   *「川奈」を取り上げた背景
   伊東パウエルに「川奈」をもちだしたところで何になるのか・・・、場違いであろうと指摘されよう。
   以下は、書き手の主観にすぎないが、たまたま、コロラドのBeaver Creekやミラノ郊外のLake Comoの別荘(それぞれピンキリだが)を想起するに、往年の日本では、「川奈ホテル」あたりが限界だったのかと思う次第である。小田原・箱根の、往年の著名人別荘・建築物は、意外に質素ではなかろうか。それに耐用年数がある。木造の劣化は避けがたく、維持が難しい。まして、その施設を維持すべき「個人のファミリー」や「コミュニティ」の維持も難しい。「川奈」の難しさは、「川奈」を維持すべきコミュニティの崩壊にあたtのではなかろうか。
   米国はともかく、イタリアの会社の大半は日本との比較に及ばないほど「小型」であることが多い。ファッション製品関連事業をみると、成功例にも、小型で同族ないし同族風の会社が多い。ある雑談の席で、「相続税がないから親の家に住める」というコメントがあった。

   【番外・日本リゾートクラブ協会の前史】
   昭和50年代の初めの頃、いわゆる会員制リゾートを手掛ける事業者はいくつか存在していた。少なくとも、アップル(伝敏郎)、ニットーコテージ、エメラルド(安達)、中野(根岸)、泉郷(久保川)、宝塚(林)、ダイヤモンド(中田)を数える。カッコ内の固有名詞は、よく会合に出てきた人たちの名前である。宝塚やダイヤモンドは比較的後発で、ダイヤモンドが軽井沢と芦ノ湖にクラブをオープンした1973(昭和48)年である。東京信販は、ある日、その中田から誘いがあり、これに加わるようになった。 
   まとめ役は佐藤勇吉であった。佐藤は、当時、国内きっての会員制の理論派で、事務局長役を務めていた。いわゆる任意法人なので、会費を集めて、エメラルドの赤坂事務所に集まって、啓蒙活動や情報収集と交換、会員募集のあり方などを議論していた。こうした運営が10年程度は続いた。
   当時、 「豊田商事事件」が起きて、会員募集活動が違法ないしは反社会的な取引として誤解される恐れがあった。
   任意法人のままでは説得力に欠けるということで、当時経済産業省のサービス産業室長であった北畑隆生(東大法、72年入省、後に事務次官、「シルバーコロンビア計画」の発案者)に相談しながら、社団法人化を進めるようになった。
   社団法人日本リゾートクラブ協会は、1988(昭和63)年2月、リゾートクラブの調査研究、情報収集提供や消費者相談などを目的に、通商産業省(現経済産業省)許可の社団法人日本リゾートクラブ協会として設立された。初代会長に中田が就任した。
   そして、社団法人法の改正があり、平成25年4月1日、内閣府の認可により一般社団法人に移行した。 
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