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お知らせ

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 【一匡社の別荘開発】
 長野原町誌下巻の観光の章に、長野原町大字応桑地蔵川なる浅間高原の人跡稀な僻遠の地に、1923(大正12)年7月、医学博士大村正夫を村長とする一匡邑(いっきょうむら)が誕生したとかかれてある。
 この邑という字は村。現存する別荘地の名称である。運営は大分変わっている。その事業主体は一匡(いっきょう)社のようだが、その一匡社がよく見えてこない。加えて、一匡邑の設計が西村伊作という。大正デモクラシー期を代表する文化人のひとりで、東京お茶の水の文化学院の創始者ではあるのだが、長野原町誌にはなんら名前が出てこない。
 邑の母体「一匡社」の一匡とは、天下一匡、天下を匡する(≒正す)意味らしい。孔子の論語 憲問第十四の十八「管仲、桓公を相けて諸侯に覇たり、天下を一匡す」から取った字で、管仲は桓公を覇者にして、天下をまっすぐに正したのだ…というような意味になろう。邑の名前にしてはひどく難しい。
 一匡社は1913(大正2)年、東京帝大を卒業した官僚・会社員・医師らによって結成された、天下国家を憂い論ずる会員制組織で、雑誌『社会及び国家』を発刊した。では、その雑誌はどういう記事を載せていたのか。1914(大正3)年11月号から15(大正4)年7月号の巻頭記事を中心に、記事のタイトルを並べてみよう。
 額田晋「伝染病研究所問題」、泉精太郎「欧洲交戦国と穀物の供給」、泉精太郎「加奈陀ケベック州の庶民銀行」、杉田直樹「独逸落ち(1)」、
 泉精太郎「欧洲に於ける日本出兵論に就て」、泉精太郎「北米合衆国の棉花業者救済資金」、春山武松「絵巻物の話」、泉精太郎「独逸と食料品及原料品」、杉田直樹「独逸落ち(3)」、岸巌「机上時論」、杉田直樹「独逸落ち(4)」、於菟平「膾を吹く」、〈「ホノルル」通信(其の2)〉、〈「ホノルル」へ(其の1)〉、〈戦時の新聞〉、〈春宵襍筆〉、森川端夫「法文の文辞に付(1)」、某医学士談「医界漫言」、泱々学人「晴耕録(玩具芸術)」、森川端夫「解散後召集せらるべき帝国議会の性質」、泉精太郎「独逸の軍事公債」、谷崎潤一郎「帳中鬼語(1)」泉精太郎「独逸の軍事公債(其2、完)」、森川端夫「非利的出版物の発達に付きて」、石坂泰三「米国に於ける我農民」、泉清太郎「墺匈国に於ける戦時財政経済施設(其1)」、泉清太郎「墺匈国に於ける戦時財政経済施設(其2)」、森川端夫「恩給制度を論ず(1)」・・・という感じである。
 単行本も刊行していた。関口泰『民衆の立場より見たる憲法論』1921年、松沢伝太郎『国防上及産業上より見たる各国の石油政策』1922年、『興国経済策としての自由港設置論』1922年、『興国経済策としての自由港設置論』1922年、『興国経済策としての自由港設置論』1922年、『貴族院改革問題と貴族制度の研究』1924年、関口泰『選挙粛正と改正選挙法』1935年・・・。著者名がないのは一匡社編であろう。
 たぶん雑誌でいえば、文芸春秋、中央公論とか岩波の世界より硬めの内容なのであろう。日本の歴史や文化にこだわりながら、グローバルな視点を設定して、経済や政治・社会・国家を論じたというように見える。
 以下、長野原町誌を軸に、一匡社の一匡邑をレビユーしよう。創設は1913(大正2)年という。月一回例会、「国家及社会」発行のほかに、「有志者が贅沢に流されず、気軽に夏を過す工夫を協議するため、組合を作り規約定款を作成して事業」を実施するという。社員の大村正夫、細貝正邦の両人が、高原で空気清澄な浅間山麓に着目、草軽電鉄から坪35銭で1万坪買う。土地代金や会館、運動場、テニスコート等は、当地の社員全体で共同施設費として分担、各社員は200円宛醸出、家屋を建てるものは、平家2階屋の別なく、各自1000円を供出、大正12年の夏には13軒となった。
 いくつかエピソードが載っている。別荘の管理は地元に委嘱し、常時事務所に駐在させ、地域住民との交流を図った。電気はなく、ランプだった。草軽軽便鉄道の駅は棒材一本、地蔵川駅という名称であった。駅前には店舗ひとつなく、邑の食糧品のうち野菜は自給自足だった。邑内3‐4箇所、道の向う側に畠を設け、馬鈴薯・いんげん・さやえんどう・ネギ、トウモロコシ等管理人が耕作した。副食はカン詰類を日本橋の問屋(野本)から一夏分一括購入直送させて、会館内の一隅に積み上げた。鮭、鯛、でんぶ、コンビーフ/57銭、ハム/62銭、大和煮、オイル・サージン、福神漬、ビワ/18銭・パイナップルなど、欲しい缶詰を取り出し、月日・品名・箇数等をノートに記入して記名し、帰京時に清算する。この方法で一件の不正もなく、勘定はぴたりあったという。
 こうしてみると、どうも一匡社は組合ということなので、無限責任社員からなる社団法人のような会員制クラブ、あるいは英国のカントリークラブなのかもしれない。無限責任社員なので、設備投資はむろんのこと、クラブでかかった費用などは一切会員が負担する。したがって、会員間は高い信頼で結ばれ、クラブは慎重に運営されることになる。
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 【一匡邑を設計した西村伊作】
 軽井沢のジルヴァン美術館は文化学院の建物(1921年西村が創立した学校で自ら設計した校舎)をほぼ再現し、1997年に開館した美術館という。校舎は兵舎のようではなく、英国のコテージ風の楽しい建物と庭園で構成された。
 さて、そのホームページでは、一匡邑の設計について、絵図を使って説明がある。ぜひそちらを見ていただきたい。
 ジルヴァン美術館の一匡邑の説明  

  http://www.levent.or.jp/exhibition0203.html

 「生活改善を望む人たちが集まって、小さくとも美しい理想村を作りたい」という西村の持論を活かし一匡邑を設計した。 自然豊かな森に11戸の山荘やセンターハウスを、あたかも自然に溶け込むように配置した。共同所有の敷地には垣根を設けず、理想的なコミュニティを実現しようという意味を込めて設計した。「山荘の形は大きく3タイプ」「同じタイプでも外観や平面が少しずつ異なる」、「各戸には必ず大きなポーチ」「人々の社交の場」、「各戸共通の挽き板葺き屋根を採用」などが特徴である。
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 さて、西村伊作。1884-1963年。建築家、画家、陶芸家、詩人…。文化学院の創立者。幼少期から奇異な出来事がついて回る。
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