◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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お知らせ

 【法政大学の大学村】
  維新後、欧米社会に匹敵する法律や司法の制度整備は急務となり、外国制度の調査と導入実施のために人材と機関が必要になった。はやくも1871(明治3)年、司法省明法寮(後、司法省法学校・東京大学法学部に吸収)が設置され、当初の主流はフランス法の考え方であった。明治期の法律学校もフランス法が主流で、次第に英米法、さらにはドイツ法を主力とする学校ができた。
 法曹とは法律を扱う専門職としてその実務に携わる者のことだが、帝大だけでは充足できず、私立の法律学校が創設された。ただ在野精神旺盛で自由民権ばかりを振り回されても困るので、東京府下に所在し、教育水準が高いとして5校を選び、優等卒業者に対し判事への無試験登用を認める恩典を与える代わりに、学校そのものを帝大総長の監督下に置いたのである。


 さて、応桑村字地蔵川(後の大字北軽井沢)の法政大学村の主役は、松室致(まつむろいたす)である。松室は、フランス法主流時代の司法省法学校の出身。同期に首席卒業の梅健次郎(後、留学したリヨン大も首席・東大教授)がいた。検事総長のとき、内外石油疑獄で桂太郎総理の指揮権により捜査を見合わるが、第3次桂内閣で司法大臣のとき、判検事の大異動を行い司法界の粛清を行う。東京法学社・和仏法律学校を前身とする法政大学は最初の法律学校で、フランス法を旨とするリベラルな校風であった。梅の後を受け、1913年に法大学長に就任し死去まで続け、この間、23年に大学村開発を手がけた。あわせて貴族院議員・枢密顧問官に登るが、治安維持法改正で死刑・無期を加えることに反対する反骨精神が残っていた。
 それほどの人物が、なぜ、別荘地開発をしたのか、なぜ、応桑村字地蔵川(後の大字北軽井沢)だったのか、なぜ、軽井沢ではなかったのか。どなたか興味ある方は掘り下げていただきたい。顧客に法政大学関係者が多かったとはいえ、よく倒産せずにここまで来たともいえよう。
 
 大学村はこのヴィラ北軽井沢エルウィングの東隣りにある。約200haに1区画500坪、別荘は300軒と聞く。なかには定住組もあり、冬に備えて薪を積む家もある。開村以来90年、火山灰の痩せ地ながら樹木はうっそうと育ち、未舗装道路がそのまま残っている。
 著名人も多く、野上豊一郎(能楽研究者・法大総長時に死去)の夫人野上弥生子(小説家)は、開村以来の住民で名誉村民。その離れに、安倍能成(学習院長)が皇太子を伴って訪れたというようなエピソードもある。戦後に外地引揚者で入植した世代から見れば、先住民でもある。