◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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お知らせ

7-2:裏 
 ◆起
 1878(明治11)年、エルウィン・ベルツが草津訪問。草津温泉を激賞。交通便利なら温泉客の増加は確実…?
 1890(明治23)年、ベルツ、土地6000坪と温泉を購入。
 1883-84(明治16)年、中山道碓氷峠の開削(アブト式レール敷設)進む。
 1893(明治26年)、横川・軽井沢間の鉄道が開通。東京・軽井沢の所要時間は飛躍的に短縮。草津温泉客は軽井沢経由に。ただし、軽井沢から草津温泉へは馬車か徒歩。4-5人乗り馬車は輸送力に限界。鉄道を通したらいくらでも客が来る…?
 1909(明治42)年、発起人草津の市川善三郎ら12人が草津興業㈱を創立。「長倉より草津に至る軽便軌条敷設申請書」を提出し、軽便軌条敷設特許を得た。
 1910-11(明治43-44)年、後藤新平(鉄道院総裁)、民間の補助鉄道投資を促進。政府補助を制度化。軽便鉄道法・軽便鉄道補助法公布。
 1912(大正元)年、軌道から軽便鉄道に指定換え。草津興業㈱は草津軽便鉄道㈱と名称変更。創立趣旨で顧客を①草津他沿線の旅客、②草津方面に出入する物資、③長野原・嬬恋・吾妻牧場附近より積出す木材・薪炭等と見た。株式14000株。1株5円、資本金70万円、株主321人は全国に及ぶ。平均44株、220円の出資。
 1913(大正2)年、起点の新軽井沢着工。
 ◆承
 1915(大正4)年、新軽井沢--小瀬開業。
 1917(大正6)年、小瀬- 吾妻間開業。
 1918(大正7)年、地蔵川駅、夏期のみ臨時営業、
 1919(大正8)年、地蔵川駅を常設駅に変更、吾妻--嬬恋間開業。
 1923(大正12)年、吾妻川電力により買収。同社役員河村隆実を社長。沿線5カ所の発電所建設による資材輸送。一匡社に別荘用地売却、
 1924(大正13)年、草津電気鉄道に商号変更、電化、草津温泉延長、自動車兼営、電気事業など積極経営化。増資と社債発行。松室致(法政大学長)、蒸気機関車の火の粉による火災で抗議するも電化促進に転向し7.9万坪を寄付。500坪付株式を販売し130万円の増資に成功。ただし、政府補助金投入後も赤字。
 1926(大正15)年、嬬恋 --草津温泉間開業し全線電化して開通。

注:火山山麓のレモンイエロー : 草軽電鉄の記憶

その昔、浅間高原を走った軽便鉃道のこと、その模型など思いついたままに語る、鉃道青年のブログ

出典:http://blog.livedoor.jp/tetsudoseinen/archives/22040446.html

 ◆転
 1927(昭和2)年、地蔵川駅を北軽井沢に改称。
 1928(昭和3)年、松室法政大学長による大学村の第一期分譲。
 1931(昭和6)年、顕著な増客効果見られず。
 1932(昭和7)年、社債権者集会で利率の大幅引下げ決議。償還日(1934年)を延長。1945年まで支払猶予。
 1933(昭和8)年、東信電気が吾妻川電力を買収、
 1939(昭和14)年、日本窒素硫黄が東信電気を買収、草軽電気鉄道に社名変更、草津白根周辺鉱山の硫黄鉱石、草津温泉街用宛て食料、長野原・六合・嬬恋の農産物などの輸送を強化。
 1935(昭和15)年、渋川--草津間などに国鉄バスが運行開始。乗客減少の契機になる。
 1945(昭和20)年、全株式の60%を占める日本窒素硫黄持株を東京急行電鉄に売却。東急系傘下。国鉄長野原線(現・JR吾妻線)開通し、長野原--草津温泉間に国鉄バス運行。利用者は国鉄側に。
 ◆結
 1947(昭和22)年、補助金制度廃止。
 1949(昭和24)年、台風で多大な被害、新軽井沢 - 上州三原間の廃止決議。
 1950(昭和25)年、台風のため吾妻川橋梁流失、
 1951(昭和26)年、日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』に登場。
 1959(昭和34)年、台風のため、再び吾妻川橋梁が流失。嬬恋--上州三原間が不通。代行バス輸送。部分廃止。新軽井沢--上州三原間(37.9 km)営業廃止許可の答申。
 1960(昭和35)年、新軽井沢--上州三原間廃止。
 1961(昭和36)年、上州三原--草津温泉間の地方鉄道運輸営業廃止の許可答申。
 1962(昭和37)年、上州三原--草津温泉間が廃止され全線廃止。
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