◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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 【噴火が続けば収穫減】
 軽井沢から北軽井沢に入る上信国境は「峰の茶屋」付近である。日本ロマンチック街道という妙な名の道路だが、146号線が走る。その茶屋の付近に、浅間火山観測所(1933年設置、東大地震研究所火山噴火予知研究センターの管轄)がある。浅間山の火口からわずか4-5㎞である。
 浅間火山のページ→

  http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/VOLCANOES/asama/

 浅間火山の噴火記録→

  http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/VOLCANOES/asama/asama_kiroku/

 浅間火山観測所の説明→

  http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/VRC/kansoku/asama_J.html

 その浅間火山観測所の解説に拠れば、…浅間山は爆発的な噴火をするわが国の代表的な火山である。 1108(天仁元)年と1783 (天明3)年の噴火では,大量の火山灰とスコリアを成層圏にあげ, 山腹に火砕流を出して,広い範囲に多大の被害を生んだ…とある。スコリアは火山噴出物の一種で軽石みたいなものである。要は、浅間山が大噴火すれば、雷が鳴って、大きな石が飛び出し、灰が降る。
 1783年8月3日(新暦)の天明の大噴火は天仁の大噴火の半分くらいの規模といわれる。それでも、火山雷と噴石で前掛山つまりは山の西側は火の海となり、関東平野は栃木の鬼怒川や茨城の霞ヶ浦、埼玉の北部、おそらくは江戸市中にも降灰し、昼というのに夜の如くほの暗く、爆発音は遠方まで届き江戸府内でも聞こる。ことに8月5日の大爆発と火砕流で塞がれた吾妻川は決壊,利根川にも大洪水を引き起こし、下流の江戸川まで遺体が流れてきたとか。
注:右の写真は
浅間火山1973年の噴火(小山悦郎) 浅間山観測所の記事から。つぎのURLに所収。

  http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/VRC/kansoku/asama_J.html
 浅間は活火山、それも世界有数であるから、噴火はランダムに繰り返し、大噴火ともなれば、数か月の長期にわたり、出来事は平素予想もしないので、起きれば精神的にも影響は大きい。爆発音が240km先まで聞こえた1911 (明治44)年の噴火、関東南部に降灰したという1931 (昭和6)年噴火、関東北部や福島の太平洋岸まで降灰した1983(昭和58)年爆発、このときも火口上に電光と火柱,浅間山腹の南斜面で山火事が発生したという。

 2004年9月14日15時半ごろ噴火で、火山灰がたなびく夕方の様子を、筑波から撮影した写真が、東宮昭彦(産業技術総合研究所地質調査総合センター)のホームページに掲載されている。
 浅間火山のページ→ 
  http://staff.aist.go.jp/a.tomiya/asama.html
 近ごろでは2009年2月2日夜中の2時ごろの噴火。降灰は東京・横浜・君津に及ぶ。これでも比較的小規模な噴火という。噴火から約3時間後、JR八高線が巻き上げ降灰を、乗務員が電車床下発炎と誤認し緊急停車したというオマケがついた(毎日新聞・Wikiニュース)
 噴火の動画がUPされている。この日の01時55分から 02時55分までの噴火の動画…浅間山アーカイブ動画(まえちゃんねっとカメラ2)である。

  さて、当時の商人はこの浅間大噴火をどうとらえたか。

 
 【飢饉と商人】
 通俗小説ながら、豪商とはいえ、高々一商人が何十万両もの大名貸ができるのかを、巧みに描いて、手形という証券と為替という信用にもとずく仕組みが、江戸時代に確立していたことを示唆する意味で、手放せない本のひとつである。
 南原幹雄は『伊達藩征服』(徳間文庫、1989年)で、主人公の小右衛門(升屋の大番頭・山片蟠桃のこと)に、こういわせている。
 
 ・・・大阪の自宅で浅間山大噴火の地震・・・部下の・・・が意見を聞かれて、「飢饉で米が獲れないのに、大名にカネ貸して大丈夫か? 下手したら店がつぶれる」・・・「米が獲れても獲れなくても仙台藩はカネが必要、必死になってコメを集めるだろう 集まらなかったら江戸で食べる米がなくなる 集まる量が少なければコメは値上がりする・・・損はしない」・・・
 
 いつかはまた大噴火するであろう。大浴場の西湯に入り、柱にもたれて脚を南に伸ばしながら、危機管理の思考演習ができるというものである。
 
 【通称六里が原は日本農業経済の限界の外】
 10世紀の934年、人類史上最大の噴火を起こしたアイスランドのラカギガル火山と、その近郊のグリムスヴォトン火山が1783-85年に噴火、「800万トンのフッ化水素ガスと1.2億トンの二酸化硫黄ガス」を噴出した。噴煙は噴火対流で高度15kmに達し、粒子は北半球を覆って半球の気温を下げ、大飢饉を引き起こした。
 餓死10万人という江戸期の天明大飢饉もまた、このアイスランドにあるラカギガル火山・グリムスヴォトン火山の大噴火による大量のエアロゾル放出が主原因と推定されているが、これに浅間山の天明の大噴火が、天明の飢饉の規模に追い打ちをかけた。
 もともとろくに米が獲れない貧しい浅間山麓で、かかる噴火が続けば、たとえば鬼押し出しひとつ見れば想像つくであろう。火砕流や洪水で田畑は壊滅、あるいは降灰で田畑は荒れるに任せ、よってますます貧しくなる。後年、日本の農地でこれ以上に痩せたところはないとさえ言わせる。そこにわずかな米が実り桑の葉が開く。
 長野原町誌(上巻635頁)では、「やせ地に落ちた一粒の麦」と題して、火を噴く浅間山の東北麓、火山灰地の通称六里が原、標高1000-1200M、気温は30℃から▲20℃、平均9℃、北海道は札幌以北に該当、積雪最高70cm、無霜100‐110日、根雪は12月中旬から3月下旬、浅間山系の痩せた火山灰土、Ph4‐5の高酸性かつ燐酸欠乏土壌と解説し、「主穀、養蚕を主とした日本農業経済の限界の外」と集約している。
 後述になるが、この日本に冠たる荒廃地に、2度にわたって開拓団が入植し、現在の豊かな農業を実現する。しかし、それは時代を下った近年の話しである。
 
 【余談・小栗上野介のこと】
 旧高旧領取調帳データベースにおいて、小栗九郎左衛門(または九郎右衛門)で検索すると吾妻郡内で15,480石(他に上総・市原などで950石)が出てくる。幕末の能吏、小栗上野介忠順の領地は、上野でも群馬・緑野両郡なので、両者の関係はよく分からない。
 上野介忠順は、幕末徳川方の切れ者官僚で、1859(安政6)年、日米修好通商条約批准使節でアメリカにわたる。後、外国奉行・海軍奉行・勘定奉行などを務めるが、大政奉還に反対し徹底抗戦を主張、結局、自らの知行地の倉渕村(高崎市倉渕町)を流れる烏川河原で、官軍によって斬首される。おなじ幕末の能吏、勝安房と比べたら、もともと徳川幕府のなかで家柄も良く、エリート過ぎたために、勝のようには身を処せなかったのかもしれない。
 しかし、明治期では大隈重信が「近代化政策は小栗の模倣」と語り、あるいは戦後、司馬遼太郎が小栗の外交能力を再評価するなど、その存在感が上昇している。享年42。Companyを「商社」と訳し、のちの銀行の創始者にもなった大番頭の三田村利八を三井組に紹介したほどのビジネス通でもある。
 官軍から逃れ、万々が一、吾妻郡に潜んで、あと10年でも生き延びれば、北軽井沢も長野原もずいぶん得したのに…と思えてならない。
 小栗ファンによる小栗上野介の解説