◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

1291399
   13
 小豆島醤油は結果的に改良を重ね、長期の時間を経て良品に変貌していく。その間、劣悪品が脱落していく。地元業界団体は、小豆島醤油の品質向上(関東に追いつけ・追い越せ)に注力した、・・・や・・・などの功績を称える。
 注:川野 正雄、近世小豆島社会経済史話 第3集、小豆島新聞社、1969年1月1日。
 小豆島のローカルルールだけで生き延びるにも、かなり老獪・老練な手腕が要りそうだ。ことに関東の感覚で見ると、「家業を守るのは大変ですね」となって、TTPは反対に回ろうかという心情が芽生えてくる。

 (注)オリビアのディナーバイキングに勢ぞろいした地場の醤油群

 なぜ、小豆島に醤油が起業したのか? 地道な文献だが、川野正雄『近世小豆島社会経済史話 第3集』小豆島新聞社、1969年1月がある(以下川野本)。これをテキストに少々読み下してみよう。彼は、冒頭で、「こういう題目はいかにも通俗的で、平板な叙述になる恐れなしとしませんけれども」、平素、日本地図では無視されがちな小豆島に、「全国的な商品としての醤油業が起った」ことは特筆すべきで、なぜ・・?という疑問は「当然でありましょう」と謙虚に書いている。
 その川野だが、7つの要因を挙げる。
 1に有数規模の製塩事業に長期的従事(味覚に秀逸・和食では必須事項)、
 2に瀬戸内の海運(大坂・京への販売)、
 3に九州との交易(肥前・肥後・筑前・筑後の大豆・小麦の確保)、 
 4乏しい耕地(しょせん島内人口を養う米穀生産はムリ・島外から買ってくるしかない)、 
 5島民の進取の気概(キリシタン好み、難破船乗員救助・見よう見まねで素麺・醤油づくり・ときどきの大一揆)、
 そして
 6おおむね天領であり続けたこと。内海村は加古浦といって、天草の乱のように一戦の折りは徴兵があったが、平素は一般大名領に比べ緩やかで(細事にお構いなし)であった。一方、紀州・湯浅は醤油の名門だったが、紀州藩丸抱え・いわば補助金行政による地場産品振興と冥加金の上納があった。京の醤油市場に、御三家の威光を借りいわば殴り込み進出を図った。明治維新と共にそういう特権がなくなり、困惑したに違いない。一方、小豆島醤油はおおむね天領の時代が長く、住民も施策の要求をしなかったし、幕府は「放ったらかし」だったとみる。結果的に、旺盛な自立・自助が保持されたといえよう。
 7に高温乾燥の気候が、醤油の醸造に有利に働く、
 以上の諸点を挙げる。小豆島醤油共同組合による『醤の郷小豆島』2001年5月刊(以下組合本)にも同様の記述があるが、ほぼ、川野本の引用である。ただし、川野本では、紀州・湯浅→太閤の激賞→小豆島への伝播の説は採用しないが、共組本は、証拠がないのはいかにも惜しいという書き方であった。業界人と歴史家の差異であろう。  

醤油の販売と資金回収
 小豆島の島内で使う量など知れている。しかし天保から幕末にかけて、小豆島の主に内海村には、少なくも50以上の醸造家があり、1815(文化12)年に樽印、32(天保3)年に組合を設け、そのなかの何軒かが東組・西組に分かれて加盟したような感じになった。したがって、大坂市場にかなりの量が出荷していた。醤油も最初は貴重品であったから、売り手優位であったが、生産者が増え出荷量も増えると、競争になり代金は後払いになる。しかも、小豆島⇔大坂の遠隔地である。当時、為替は十分に発達していたとはいえ、どうやって決済したのか、当然、貸倒れも生じたであろうが、どう処理したのか疑問が浮かぶ。
 組合本の要約に拠れば、小豆島醤油の大坂への販売(積送・納品・代金回収)は、醤油輸送船の船頭の仕事であったようだ。しかし、競争激化に伴い、船頭の手に負えなくなり、回収期間が1年を超えるようになると、資金繰りが続かず、流通経路の見直しが必要になった。醸造家は既存経路を整理し、小豆島に縁のあった豪商「若狭屋」を総代理店とし、カネの流れを1本化した。それで、10年くらいは良かったのだけれど、若狭屋自体がなんの原因か倒産する。小豆島の醤油醸造にとっては、青天の霹靂であったろう。
 そこで、今度は、産地別に組合を設置した。備前・児島は戎組、紀州・湯浅は住吉組、播磨・龍野は商栄組、讃岐・小豆島は住栄組という具合である。かくして、小豆島の醤油は大阪市場での地歩を固め、明治期に突入する。そこでは、本格的な「資本主義経済」下での、小豆島の醤油事業の存続を図る必要が生じることになる。それは、関東の大手、キッコーマンの野田醤油、関東最古参のヒゲタ醤油との、東名阪主力市場での主導権争いであった。
  さいしょの目次に戻る