嵌ってしまった池田宏
 用地の取得はオイルショックの頃。小豆島バスの堀本文次が用地を買い上げに動くが、池田の用地はパス。温泉試掘。毎分400L。結構な湯量なので多施設にも配湯。急傾斜地の崩壊などの災害があり、本現場に盛り土、後のテニスコートができる、建築はバブル絶頂期に上り詰める坂の始まりの頃。この用地も、夕陽丘の命名者・堀本文次に買い取られる可能性もあったが、うまく免れ、1989年に第1期工事が池田建設によって竣工した。あとの2期、3期の増床工事は清水建設による。いまの形は、池田建設のオーナーと清水建設の設計部門の合作なのかもしれない。
 お時間がある向きは、池田の半生記を探して、このホテルの自慢話を探索するのも、大いに参考になるであろう。このホームページでは割愛する。
 オリビアンは優良の素質のあるホテルだが、業績不振ホテルであった。旧池田時代、池田建設工業の本業である浚渫の利益でホテル運営をしていたようだが、その浚渫事業の売り上げが半減する。オリビアンの維持はできない。
 こうした事態が起きうることを、もっと言えばフツーにやったのではリゾートホテルは儲からない事業だと、池田本人がもっと記憶の底に定置させ、先行したテニスコート事業が赤字だったとことは自明、ホテルを建てたらテニスコートも稼働が高くなるというような幻想にさえ取りつかれることなく、あえて「go」と判断したのなら、池田も悔いはなかろうが、単に、周囲、ことに金融機関や施工予定の大手ゼネコンなどの計算不足、ないしは計算回避(ともかく営業優先)が、池田をして「go」と判断させたとすれば、やはり悔いは残るであろう。
 民事再生法の処理だと、裁判所の判断次第しだいだが、どこかの時点でスポンサー探しが始まる。買い手のその情報が入れば、おそらくは、確率的に処理され資金の出入り表のなかで、フリーキャッシュフローが無数回計算され、残存価格が吟味され、買収価格を想定し、資金の入りの分布がある形を見せれば買収計画に入るであろう。
 ただ、この計算手法を池田に要求するのは少々酷である。彼がホテルを模索していた1980年代後半は、むろんこうした計算の理屈は分かっていたのだが、パソコンの能力や、表計算ソフトの性能からみて、実用にはなりにくかった。
 しかいまは違う。100発100中ではないが、ある程度は読める。その計算結果をみたら、さすがの愛郷心旺盛の池田も目を覚ましたであろうに、事業に油断は禁物、事業開始前の計算をもっと督励して、オリビアン投資プロジェクトの価値のことを知らしめるべきだったと思う。苦労人で這い上がって成功した方の、人生の土壇場におけるホテル倒産である。いささか気の毒である。 
 
哀惜の情を禁じえず。合掌。

 つぎへ⇒