ナクアリゾーツクラブの会員が、小豆島のオリビアンを訪れ、1泊で帰らずに、少々なが滞在、ないしは数日を過ごしてみよう。そう思ったとき、こんなことを考えてみてはという意味で、滞在の動機やヒントになりそうなことを少しだけ描いてみた。
 東京から小豆島に行くには、いくつもの方法もある。東京からのメジャーな移動は新幹線か飛行機で、高松経由であるけれども、マイナーな商品もそう簡単には市場から消えないところを見るとそれなりに潜在的顧客があるということになる。 
 観光スポットをあちこち回るというのは観光の、つまりツーリズムの考え方であるけれども、島を訪ね歩くのも非常に面白いが、この狭い島から何かを発見しようとして、若干じっと構えるのもまた一興であると考える。
 例えば東京からわざわざ小豆島まで訪れて、数日滞在して、何か得られそうなテーマというのは何であろうか。こういうことを考えるのもまた楽しみ1つであるとしておこう。それにしてもオリビアンというホテルはどことなく味がある。
 なぜここにこのホテルはあるのだろうか。ここで宿泊事業を構想した人物は、一体どのような経歴の持ち主であろうか。しっかりした源泉を掘りあてたとは言え、団体の観光バスが群れをなして訪れるというような感じのホテルでは無い。非常に不思議なのは、この事業者はどこで採算が取れると判断したのだろうか。 
 ハマったという言葉はあまり品の良い言葉ではないが、ある種の理想論にハマったとしか言いようのない。この事業計画を推し量ると宮崎のシーガイアを思い出す。池田は大正3年生まれ、シーガイアでハマった佐藤棟良は大正9年生まれ。どちらも真面目な事業家だったのだろう。分かった範囲で開発のプロセスを辿ってみた。
 崩壊しかけた事業も、見方を変えれば蘇生することがよくある。宿泊事業のジャンルでも同じである。ホテルは典型的な装置型のサービス事業。当初にカネがかかるし、いったん始めたら商品を変えることは困難だ。その装置の数字が良ければ、売り方を変えていくことで蘇生する。そういう意味ではオリビアンは筋の良いホテルだと思う。
 このホテルは西向きもしくは北向きに立っている。日本の伝統的な造園のセオリーから見れば極めて妥当なところでもあるが、よくぞ思い切って決断したと言えよう。対岸の牛窓海岸にちなんで竹下夢二風の大正ロマンと言うと言い過ぎだが、好みが合う向きには、滞在しやすいホテルである。
 家族で泊まれる比較的大きな部屋が揃っている。 80年代後半の開業としては、比較的珍しい設計である。それからオリビアンは湯元だ。今、小豆島にある宿泊施設のオーナーは、ほとんどが島の外の出身者(法人を含む)であるという。島には観光の目玉となるようなものがないと嘆くけれども、静かで良いという利点もある。
 この前アップした北軽井沢に比べれば、小豆島ははるかに豊かだ。江戸末期の国土を比較すると歴然としている。しかしそれでも食べ物に事欠く始末ということで「小さな島」小豆島と名付けたという。それでも江戸時代は概ね幕府直轄で、当時としては安定していたのであろう。島内ビジネス事業を少し探ってみた。
 寒く貧しいところで育った人々は艱難辛苦に耐えて、成功者が出やすいという。イギリスだってヨーロッパの北のはずれで島国で寒い。地中海沿岸とは大違いだ。しかし小豆島は温暖なところにあっても働き者が出る。松下幸之助の片腕と言われた高橋荒太郎は、なんと島の出身者だった。
 塩に醤油、そうめんにごま油、そしてオリーブ油。小豆島の働き者が育てた食品である。情報化やグローバル化で極めて競争の激しいこの分野で、よくぞ生き残っていると言えよう。 イタリアのテキスタイルメーカーのような、世界に通じるこだわりのようなものが、ここにもあるのかもしれない。
 大手の参加に入らず、インディペンデントでコツコツ醤油を作る。どうやって生き延びたのだろうか。いくらたくさん作ってみても、不味ければどうにもならない。食品の宿命である。関東の大手の醤油メーカーにひねり潰されない。強靭なノウハウがどこかに潜んでいることになる。
 簡単に言ってしまえば、競争が改善を見、改善はまた新たな競争を生む。しかし実際にこれを実行するのは容易なことでは無い。たまたま小豆島の土庄町立図書館で探した資料をもとに少し考えてみた。

 小豆島オリビアを背景にした滞在生活(リゾートライフ)という意味では、いささか地味すぎたかもしれない。「ART SETOUCHI」あるいは「瀬戸内国際芸術祭」については、よく広報されているので、あえてここでは取り上げなかった。
 
  画像は、上から、①栗林公園(高松)、 ②讃岐うどん(同)、中段の③④満潮の干満によって見え隠れするエンジェルロード(小豆島)、下段は⑤ART SETOUCHI関連(小豆島)