◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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4:温泉はだれのものか

7:温泉はだれのもの・・・既得権益の保護か新規参入促進か

 富を産む温泉は財産である。ただしこのことは温泉法では規定していない。利害関係者、あるいは売買の当事者が財産と思っているから財産なのである。したがって、温泉法でいう温泉でなくても、当事者が互いに価値ありと見れば取引するであろう。
 温泉権は誰のものか。これはいささか厄介だ。見つけた人、掘った人、地主、資金提供者、あるいは国民みんなのもの、地域のもの、自治体、住民、利用者・・・。論文になるテーマである。
 (注)興味ある向きは、たとえば以下の文献をご覧いただきたい。安藤 雅樹「温泉と法に関する考察」『信州大学法学論集』17号、pp. 291-326、2011年。つぎのURLでダウンロード可能。
 
https://soar-ir.shinshu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10091/13253/1/shinshu_law_review17-05.pdf
 下呂温泉は長年これで稼いできた湯之島の住民のモノという意識が強い。48(昭和23)年に下呂温泉供給組合を結成するに当たり、住民を定義した。ここで住民とは、28(昭和3)年以前より湯之島本組在住の本籍者で一家を有し、要は実際に居住し、温泉権を得ようと掘削を試みることなく、まして権利を売却しないような住民である。既存業者に都合の良い定義であった。
 【12】
 
 注:下呂温泉はもともと薬師如来のもの? 下呂・温泉寺境内。
 
 この定義は25年後に再確認される。湯之島は、1000年以上も伝統があり、絶頂期を迎え、もともと河原の温泉で河川管理者の役人と対峙してきた。そこで、湯之島は公権力を利用しながら、よそ者の参入の壁を高く設定した。つまり、源泉所有者が湯を預け、旅館業者が引き出す集中管理方式を、下呂温泉事業協同組合(中小企業協組法の認可組合)を組織して1973(昭和48)年から実施している。
 要は、組合員になって分湯配湯してもらわない限り、温泉付き宿泊施設はできないことになる。組合員は昭和3年以前の壁があるから、事実上、新規営業はできないということになる。しかしこういう壁はあまり意味がないことを、後年、しみじみ知らされることになる。
 

8:我が道をゆき源泉を確保

 むろん、マロニエが手を挙げても、組合は湯を分けてくれる様子はなかった。それどころか、下呂温泉の名前はつかうな、マロニエ萩原温泉にせよ、地元業者から仕入れはさせない、観光協会に入れないなど、下呂温泉の主流派からはさんざんクレームが来た。したがって、ホテル用地の売主は温泉権を付けて売却する必要があった。それには地主が自前で掘って当てるしかない。用地は高台にある。温泉は河原かその付近に出る(かもしれない)。河原かその近辺で掘り当てた湯を高台にポンプアップする。そこでどうでも温泉掘削許可が必要になる。
 以下は筆者の独断だが、ホテル用地が萩原町にあったことが幸いした。温泉法で許可権者は知事、しかし後難を恐れ、許可にあたって知事は市町村長から「推薦」をもらう、市町村長は地元の「同意」を取る、地元とは同業者の団体、これが次の選挙の票を左右する。地元の同業者団体の同意がなければ、まず許可は出ない。仮に申請者から書類が出てきても、県庁の窓口は書類を受け取らない、いわゆる窓口指導である。
 当時の萩原町長は、大きな建物が建てば固定資産税が入ってくると計算したかもしれないが、マロニエに抵抗してまで、地主の温泉掘削を不許可にする理由はない。古来、益田郡の中心は萩原町であって、下呂温泉ではないという自負もある。合併して下呂市となったけれども、市役所をどちらに置くかは、いまなお決着していない。


 
 【13】益田川西側の斜面に立つ宿泊施設群

9:バブル崩壊を乗り越える

 かくしてマロニエは自前の源泉を確保した。念のためというので2つ確保した。マロニエの温泉は、複数の温泉井の混ぜモノではなく、源泉の温泉という自負が生まれた。
 89年の下呂につづき、この時期、用地はまだ高騰していたが、92年に内海(愛知県・南知多町)をオープン。会員権の販売も進み、諸事順調に運んだ。あとからでしか分からないが、株価の頂点は1989年の暮であった。なかなか難しい判断だったが、東海3県に1か所ずつ展開しようということで、93年に湯の山(三重県・菰野町)が温泉付きでオープンした。
 しかしバブル経済が崩壊した。あとからでしか分からないが、株価は1989年の暮、ゴルフコースの会員権価格は90年2月あたりがピークだった。ゴルフ会員権価格が、返済を要する預託金以下になると、預託金が返還できなくなった。日本の会員制ゴルフクラブのほとんどが預託制であった。シミュレーションでは分かっていたことだが忘れていた。起きたことは仕方がない。ここが経営手腕の見せ所で、預託制を株式制などに模様変えしたところは、会員がメンバーとしてプレイする本来の目的を維持できた。
 宿泊事業はそれから4・5年遅れ、1994-95(平成6-7)年あたりで売上のピークが来た。名門旅館の倒産は続いた。
 東京・銀座の地価は急降下した。半値八掛け5割引き。それでもまだ高いと言われた。担保の資産は急落しても預かった預金は減らない。資金の流れがついに止まり、日本長期信用銀行や北海道拓殖銀行が倒産した。
 長崎オランダ村のハウステンボスや、鳴り物入りの宮崎・シーガイヤの主力銀行の日本興業銀行や第一勧業銀行も、事実上整理され、みずほ銀行に統合された。資金の供給を断たれた事業主体は倒産した。
 バブルに遭遇したのは仕方がない。ここをどう持ちこたえるかが問われた。マロニエの当初の事業主体も、主力銀行の東海銀行が三和銀行に合併される金融再編成の波にのまれ、2001年10月、名古屋地裁に民事再生法の適用を申請、事業継続を断念した。
 ただ、マロニエホテルの権利は会員の方々のもので、資産の大半は会員の所有であったことや、1998年より、3ホテルの管理組合より委託を受けた現在の運営会社が主体となってホテルを運営していたので、事業主の法的申請時に一時動揺があったものの、会員の力強い激励を受けて大過なく運営されていた。さらに、数年後には銀行やゼネコンが押さえていた未販売の会員権を運営会社及び関連会社が全て買取り、マロニエは新しい会員制リゾートクラブとして、再び生き返ったのである。
 現在、マロニエの会員権は預託金をなくし、不動産・入会金・修繕積立金にて構成されている。マロニエの運営会社は、引き続き3ホテルの管理組合から委託を受け、健全経営を続けている。


 【14】経営不振に陥った九州のテーマパーク・リゾート
 上図のAが第一勧銀系の宮崎シーガイア(2001年2月・会社更生法申請)、Bは新日鉄系の北九州スペースワールド(05年5月民事再生法申請)、Cは興銀系のハウステンボス(03年 2月会社更生法申請)。こうしてみると、国内の主力市場から遠すぎる。シーガイアの投資額は東京ディズニーランドの初期投資とほぼ同じである。    ⇒つぎへ