12★旦那衆に代わって登場した観光客・・高山市の観光統計から
補助金をだす郡代も、大盤振る舞いが可能であった大商人兼大地主も、そして山林が産む付加価値を享受しにくくなった高山に、あらたなスポンサーとして登場したのが観光客である。
たとえば下呂は1000年来の温泉地であったから、観光で集客するという点では、高山より先輩であったし、集客能力もあった。高山の飛騨の中心であったし、集客は下呂に比べ観光への依存は低く、観光への目覚めは遅かった。
そのかわりに90年バブルの後退期にはマイナスの影響をあまり受けずに、むしろ結果的に伸ばしていった。2000年代前半の退潮では下呂と類似の傾向をたどるが、ピークからの高山の下げ幅は下呂ほどではない。
しかしながら、農地解放・旦那衆崩壊以来、60数年を経過、さすがに観光客のパワーも落ちてきたのではなか。市場は高山に対し、何か新しい趣向・コンセプトを求めているような感じがする。