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㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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略史3 


05★飛騨の江戸幕府の直轄領化 

 ところが、江戸幕府は1692(元禄5)年、飛騨を金森家から取り上げて直轄領(支配所)とした。政治的に重要ならともかく、天下の幕府が何を好んで下々の下の飛騨を欲しがったのか。うがってみれば、幕府は紙幣を使わなかったから、経済成長とともに慢性的財政難になる。それだけに大量の金銀が必要とした。そこで飛騨に着眼した。金森氏から飛騨を取り上げたけれど、しかし、鉱山の方は期待はずれで、第二の佐渡にはならなかった。
 森林は豊かだった。その経営は必須である。代官(のちに郡代)を置きこれにあたらせた。しかし江戸から赴任に10日を要する遠隔地、しかも最初の代官の伊奈忠篤は関東郡代であり、飛騨は兼務だった。飛騨担当の専任代官は1715(正徳5)年任命の森山又左衛門からだが、しかし江戸常駐だったから、ときどき高山に来るけれども、原則は江戸にいて、あれをしろ・これをやれと命じていたことになる。これでは現地がうまくやれるとは限らない。いまふうの「だったらおまえ(O)が、来て(K)、やって(Y)ごらん」的顰蹙を買っていたのかどうか、興味深いところだ。
 実際に高山陣屋(代官所)に常駐したのは、1728(享保13)年の7代長谷川庄五郎からである。
 
 

 
*郡代・陣屋

06★高山は町人の街に変貌

 ところで、金森氏が飛騨を外された理由はよく分からない。ときの5代金森頼時は奥詰衆(側用人)に任ぜられ、外様としてはエリートコースを歩み出していたが、翌年解任された。その理由も定かではない。一説では、幕府機構でより高位役職に就くため、運動資金を得るべく領民に重税を課し一揆を招いたとか、平素から飲酒が過ぎ、素行が悪く柳沢吉保に嫌われたとか、5代将軍綱吉と反りが合わなかったなど・・・と語られる。
 それで金森氏は飛騨から447キロも北の出羽・上之山に転封、さらにその5年後に、こんどは512キロ南の美濃・郡上に配置換えになる。その郡上でも子の頼錦の代に、郡上一揆と石徹白騒動を処理できず、結局、1758(宝暦8)年所領没収となった。
 仮に金森の領地が表向き3.5万石だと、常用雇用の家臣3-400名、家族ともども1-2千人と推定しよう。基本的に徒歩での引っ越しである。命令とはいえ経費は大名持ち、だからといって、逆らえばおとりつぶし。挙句の果てに所領没収。官僚機構による統治だから、大名もなかなか辛抱がいるものだ。
 直轄化の時点で高山は城下町から商人街に変貌する。城は一時的に加賀藩の前田が預かるが、維持にカネがかかりすぎ破却を申請、ほどなく幕命で取り壊された。町の上段にあった武家屋敷は農地になり、下段にあった3つの商人町が中心になる。
 小京都が江戸を向き始めた。当時は世界的にも大都市だった江戸の文化や情報が伝わる。金森のややっこしい家臣団よりも、代官・郡代を相手にした方が手っ取り早い。この変化は、高山の町づくりに大きな効果があったのではないか。
 
  
  

 
                         *武家屋敷が消えた高山(高山市藏)
 
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