◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

1291573

略史1


01★律令時代に徴用された飛騨の匠 

 
 今更日本史でもないのだが、大宝律令の税制は、租はコメの収穫量の3%
~10%程度でいわば固定資産税、庸は京での労役ないしその納物、調は絹製品。その庸も調も飛騨に対して免除したが、代わりに、匠を徴用してタダ働きを強いた。
 大化2(646)年の大化の改新で木工寮を置き、飛騨国出身の荒田井直比羅夫を将作大匠に就任させた。また、大宝3(702)年律令では、例年、50戸毎に匠10人を徴用すると決められた。京での大工仕事に使ったようだが、後の飛騨の匠の嚆矢である。京に上るだけでも大変なことだ。でも、なぜ、飛騨に匠がいたのだろうか。
 
 
 
*高山工芸を象徴する麒麟台の棟飾

 
 1に飛騨は山国で山林が豊富で「優れた木こりや大工さんがたくさんいた」という。しかし、豊富な山林を持つのは何も飛騨に限ったことではない。
 2に何らかの偶然で天才的な匠(たとえば鞍作止利とか荒田井直比羅夫)が飛騨に生まれそして育った。
 3に技術優位な人材が海外(たとえば朝鮮半島)から訪れ何らかの理由で飛騨に住み着いた。
 4にリーダー役の匠が存在した。かなりあとだが、1311(応長元)年、飛騨匠の藤原宗安が郡上郡長滝の白山長滝寺を建てるとある。宗安は飛騨権守(≒副知事)に任官していた。職方も徐々に優遇され始めたのかもしれない。
 大宝律令の700年代、飛騨匠は京の神社仏閣の建築に動員された。タダ働きはさぞ迷惑だったろうが、この徴用で匠のブランドを全国的に確立した。そして徴用から徐々に出稼ぎに発展していく。下々の国飛騨にしてみれば、為替の発達とともに、匠は貴重な「外貨」の送金主になっていったのかもしれない。

   
 
                             *秘伝の設計図集

 02★「小京都」好みの金森長近  09
 
 

 貧しい飛騨の国をそれなりに統治した大名に金森長近がいる。長近は美濃・多治見の生まれ、織田信長の臣、越前の朝倉攻めとその後の越前一向一揆鎮圧で越前・大野郡を攻略、1575年勝利の功により大野郡を統治、柴田勝家旗下となる。82年本能寺の変を経て柴田は豊臣に敗れ滅亡し、以来、金森は豊臣に付く。84年小牧・長久手の戦い、85年佐々成正征伐(飛騨国司姉小路頼綱討は佐々側)の功で越前・大野から飛騨・高山に移封され国持ち大名に、94年には秀吉の御伽衆を務めた。関が原では東軍・徳川方に付いて領地は安堵された。徳川体制では外様である。
 福井市から東に約30㎞、電車で1時間ほど乗ると越前大野に着く。大野市は人口3.5万人の小都市だがここの街並みも「小京都」と呼ばれる。金森の大野統治はわずか10年だが、この間に、城のある亀山の下にあるいまの街並みの基礎を作ったという。その後の高山の街づくりと併せて、金森は「小京都」好みであったのかもしれない。

 
 
 
*金森長近


 
 
 *金森長近による越前大野の絵図(大野市博物館藏)


 
 
 *金森長近による飛騨高山の絵図(高山市藏


⇒次へ