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㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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【4】雛にまれな料理

 8 宗和流懐石料理の洲さき
 
 

 いま、旅行代理店などが、高山の献立を紹介するとなると、飛騨牛と高山ラーメンに多くのページを割く。しかし、高山には、ことに幕府直轄地になって定着した懐石料理と精進料理がある。
 高山には2軒の料亭がある。1794(寛政6)年創業の洲さき(すさき)と1815(文化12)年頃創業の角正(すみしょう)である。前掲『商工技芸飛騨之便覧』には、高山中橋東詰東へ入・料理商・洲岬和作と、高山上向町・旅人宿・角竹(すみたけ)市蔵として掲載されている。明治維新にもめげず商いを持続できたことを意味する。
 ともに、立派なホームページ、洲さき:
http://www.ryoutei-susaki.com/、角正:http://www.kakusyo.com/index2.htmlがあるので、実際の予約などは、ご参照いただくとして、ここでは少々昔に遡ってエピソードを探して紹介する。
 洲さきのウリは茶道・宗和流の料理である。宗和流を編み出したのは初代高山藩主だった金森長近の分家の跡取りながら廃嫡となり、茶道に専念した金森宗和である。京の茶人や公家との交際のなかで精緻され、「姫宗和」というほどにエレガントな流儀という。高山での宗和料理はかってこの地方の標準的な宴会料理であった。仕出し屋がないときは、自家で調理するか、料理人を呼ぶ。
 たとえば婚礼だと、お嫁さんが朝9時に婚家に到着するとして、前日からはじまって徹夜で料理して、朝8時までに完了しなければならない。冬季の寒い日などは、調理人が作業しながら茶碗酒を飲みすぎて、万が一寝てしまうと、間に合わない恐れがあった。それでも、婚礼は先に日取りがわかるからよいが、不祝儀はあらかじめ予定できるものではないので、材料の調達に苦労したという。もうひとつになるのは八寸盆・皿や鉢などの什器である。自家で揃えておくとなれば、結構な負担になるはずだ。仕出し屋に依存するのも当然の流れである。
 以上は明治の中頃の話だが、宴会は姫宗和のようなイメージでではなく、かなりの酒量に堪える必要がありそうだ。その献立は別表のごとくである⇒宗和流宴会料理の献立.pdf
 この献立にも、洲さきのホームページの宗和本膳にもタイ(鯛)が出てくる。むろんいまの洲さきの献立は洗練されているから、比較の仕様もないのだが、高山から富山までは越中東街道でも80キロはある。その頃、そのタイをどういう味にしたてたのか興味深い。

 
 
      
     
      
*洲さきの店構え

 
 

 
 9 精進料理の角正
 
 

 一方、角正は趣を異にし、発祥は江戸である。角竹初代の角竹幸右エ門は、江戸で刀鍛冶をしていたが、あるとき、2代庄兵衛とともに、江戸・谷中の「八百善亭」で料理を学んだという。
 そして、1815(文化12)年に就任する18代の郡代・芝与市右衛門に供奉して、一緒に飛騨へ下った。そして鍛冶屋から料理屋に転職する。現店舗は、3代茂助が、郡代役所出入医、円山東巒(とうらん)の住居を買収したもので、金森家無き後、町人の街に変貌し高山では珍しい武家邸宅の様式を多分に残していて、高山市の文化財に指定されている。
 歴代の郡代は味にうるさく、しかし何しろ山のなかで、魚はなく塩もわずかで、野菜・木の実・海藻を応なく工夫せざるを得ない。武家は禅宗好みだし、精進料理に向うのが当を得ていたようだ。
 なお、12代子孫の功次が東京・昭島で、10年7月に「すみたけ歯科」を開業し、そのホームページに角正の由来を紹介している(
http://sumitake.net/concept.html)。
 さて、この料亭を1941(昭和16)年に、北陸旅行の帰りに高山線に乗ったついでに角正を訪れたという作家・獅子文六(後・文化勲章受章)が、印象記を残し、中国に起源をもつ黄檗(おうばく)流とことなる角正独自の精進料理を高く評価している。
 その一節を紹介すると、「私は四十を越してから、精進料理が好きになり・・・」、「クルミ豆腐は、うまかった。揚物は、蔓つきの竹篭に盛り、恐ろしく上品な精進場を現出したが、私は走り物でなくてもいいから、もつと落ちついた味が欲しかった」とか、「箸洗のお椀に、始めて麩が出た・・・麩といふものは、私の好物だから、湯葉とでも煮て貰って、沢山食べたかった」「万事、私の趣味は下品で、惣菜向きらしい」という調子である。
 獅子文六は1893(明治26)年生まれで、横浜・東京育ち、後に演劇研究で渡仏、初婚は仏夫人であった。角正が起源とする江戸の「八百善」の味がたまたま高山に残っていて、それが40歳を超えた文六の味覚を堪能させたのであろう。例の『飛騨春秋』に献立があるので、以下に紹介する。

                                        ⇒次へ
  献立

   吸物

     菊葉揚 じゆんさい花柚子

   前菜

     そば紫蘇包 五月豆わさび漬

   小附

     黒豆

   深鉢

     飛龍頭 新ぜんまい 椎茸

   八寸

     胡麻おかべ 琥珀くるみ 土佐煮百合 茄子しぎ焼 きやら蕗 

   口代り

   クルミ味噌 柚子味噌

   揚物

     新挽揚 生椎茸 青たうがらし 南瓜 かき百合 紫蘇

   止鉢

     ウドのクルミ酢和へ

   箸洗

     忍生姜 松葉 角麩 梅 晒ねぎ 

   御汁

     新わらび 茗荷

   御飯

     香の物 水の物 甘味

 

   出典:獅子文六「角正の精進料理」『飛騨春秋』30-31頁、昭和〇年〇月号。 
   (刊行年月は失念 乞・ご寛恕)