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関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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鈴鹿越えで土山に入る

【7】雨はむしろ土山より亀山の方が多い

移動した時間に対する気候や光景の差。これはある場所がリゾートであるための、背景のひとつになる。短い時間で、温度や風景がさっと変わると説得力がある。そういう意味では都会から最初の海抜1000M、神戸の六甲は資質十分なのだが都市化が進んだ。また、1000Mは相当に寒い。軽井沢は札幌とほぼ同じ気温だ。冬はゴルフどころではない。()ダイヤモンド滋賀は、東海道53次の江戸から数えて49番目、土山宿に近い。安藤広重は、47番の関宿(海抜80m)で街ににぎわいを描く。48番の坂下宿(阪之下・海抜320m)ではさして目立たぬ筆捨山をやや誇張を込め嶺と描く。鈴鹿峠(海抜357m)を越えて、49番目の土山では田村川渡河を前に雨天に難儀する様子の大名行列を描く。

 

  

  

 

広重は、平穏に繁栄する関宿を出て、険しい坂を登ってようやく峠を越すと、降雨で難儀するから、なお心して旅せよといいたかったのであろうか。あるいは、坂は日が照り、登り詰めた峠は曇り、越えた土山は雨という鈴鹿馬子唄に準じたのであろうか。

旧坂下宿の「鈴鹿馬子唄会館」の説明(展示)によれば、江戸幕府は1611年に街道筋の人馬駄賃(運賃)を定めたという。宿駅により駄賃は一定ではなく、地域の実情を斟酌した。1810年の東海道駄賃表の「本馬」によれば、#37藤川から#53大津そして京までのあいだの12宿駅間には、たとえば距離が短いためか#44石薬師-#45庄野のように34文、あるいは#42桑名-#43四日市の船便のように151文というのもあるが、おおむね120140文である。ところが、#48坂下-#49土山は、・・・坂下宿は気象の変化が激しく、峻険な鈴鹿峠越えのため・・・、登りが225文、下りが166文と設定された。たかだか357mの峠や1000Mにも満たない山々で、気候がどれほど異なるのか・・・。
 ただ、現代のリゾートクラブにとって、「変化が激しく、峻険」は必ずしも悪い話ではない。そこで、本稿は気候と地理の話が多くなるのである。

この30年間、とくに4-69月、土山の降水量は亀山より少ない。ただ7月下旬から8月中旬の土山の降水量は名・京・阪より多い。亀山はよっぽど降ることになる。従って、広重は、たまたま局地的に降った雨の土山を、ふもとの関宿との対比で描いたのであろう。

国道一号線(旧東海道)の亀山から土山までざっと17km。新名神鈴鹿トンネル経由だと峠に気付くことすらないが、歩くとなるとどのくらいの時間を要したのであろうか。あるいは、東名阪を鈴鹿ICで降りて巡見街道を南下し、亀山公園で右折して東海道に入り、峠越えして土山猪鼻から向かうが、走行距離はほとんど変わらない。この経路は略図のとおりである。軽井沢でいえば、碓氷峠の旧道を経由しないと着いた気分にならないタイプ向きである。

 

 

【8】関宿は重要伝統的建造物群保存地区

京都・奈良・鎌倉市・天理市・橿原・・・とあげると歴史のある昔からの都市という共通点がある。「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」、略称、「古都保存法」の適用都市である。古都とは歴史の中で政治文化に特異な特徴を持つ建造物遺跡が醸し出す風土がポイントである。開発にはより多くの規制がかかるが、掲記を含め10市町村が指定されている。三重県亀山市(旧鈴鹿郡関町・発音はせきちょう)の関宿は、古都保存の規模ではないが、東海道の47番目の宿場で、文化財保護法による重要伝統的建造物群保存地区(略称・重伝建地区)に指定されている。市町村条例が定める伝統的建造物群保存地区の中から文科省が選定する。

 

言うなれば、それなりに建造物が群をなして保存されている。群れを成している建物の周囲にある庭園・生垣・・・その他さまざまな建造物(環境物件という)がある。現在77市町村93地区に及ぶ。関宿はそのひとつで、伊勢別街道に続く東追分から、大和街道(少々先から別れて坂下宿から鈴鹿峠に向う東海道)に続く西追分、約1.8kmに古家200軒が保存されている。メインストリートには、電柱が1本もなく、当時のままの姿を大切にしている(上右の画像)。雰囲気が良く出ているので訪れる観光客も多い。

 

よって祭事も頻繁に催される。たとえば、7月下旬(土日)の「関宿夏まつり」の夜に山車が出御する。11月初旬某日(例年異なる)の東海道関宿街道祭りには時代祭風の仮装行列などが開催される。

亀山市観光協会ホームページに関宿の案内図がある。http://www.city.kameyama.mie.jp/kanko/sekijuku/kakudai.html

また、ご参考までに関宿&坂下宿画像を掲載した。


 関宿は亀山藩の領内。この藩は人事異動が頻繁で殿様が定着しなかったが、1744年転任した石川主殿頭総経・6万石で安定し、廃藩置県まで続いた。供応役などを務めて藩財政は大変だったようだが、1820年、8代総安のとき財政改革が成功、藩校・九思堂を創設したが1833年に死去、8代総紀は37年の暴風雨被害で4千石を窮民に与えると同時に物価統制を敢行、名君の趣だが、後継者の夭逝が続くなど思うに任せない。9代総禄は茶の栽培、山林開拓、新田開発など積極的な藩政改革を実施するも享年3410代総脩も桑や蚕の栽培、農業政策に尽力とのことだが享年1411代の成之は戊辰戦争で家中は尊王派・佐幕派に分裂、幕府に肩入れしたが途中で帰順したため、官軍の命で近隣諸藩との戦いに狩り出され、やっと廃藩置県を迎えた感じだ。

それでも治世の甲斐あってか、関宿は広重も描くように大変栄えた。とりわけ繁盛した宿屋の「鶴屋、玉屋、会津屋」にあやかるように、重要伝統的建造物なるものを味わい、クルマにせよ、歩きにせよ、鈴鹿峠を越えて甲賀猪鼻を右に曲がってダイヤモンド滋賀に入るも一興である。故智にならい、商いのヒントのひとつも探せれば、同慶の至りである。 ⇒つぎに続く