◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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クラブライフの誘い⑤

 【鴨川シーワールド】
 鴨川シーワールドの従業員の表情はまるで幼稚園の先生のようである。いま、経営にあたるグランビスタホテル&リゾートが企業再生支援機構の支援を受けて再生中だから、いろいろ難しい局面なのであろうが、子供たちとの接客に屈託がない。イルカやアシカなどの展示飼育、シャチの飼育調教、各種パフォーマンス(ショー)がある。こちらのほうは動物学や獣医学や水産学の総合的成果に、日々の厳しい実務が加わって形成したのであろう。この施設を背景にした学位論文がいくつかでてきても不思議ではない。パフォーマンスの主役は魚類ならぬ「海獣」。トレーナーを乗せて運ぶシャチはよほどこのレディが好きなのであろう。海獣の割におおらかにみえる。そこに人気があるのかもしれない。

        

 ともかく用意されたパフォーマンスをプログラムどおりに観覧すると半日が過ぎてしまう。入園料2500円はけして安いとは言えないが、海獣たちの食事は合計日に1トン以上とのことで、、まずは許容の範囲であろう。
 この施設がなぜ安房鴨川にできたのか。サーフィン発祥のゆえであろうか。考えてみれば不思議だ。いまとなっては創業者の八洲観光開発株式会社の実態がわからない。ほじくりだせば面白そうな話が詰まっているかもしれない。参考:
鴨川シーワールドの略史
 それを買収した当時の三井観光開発。その全身は北海道炭礦汽船(以下北炭)が1958年に関係会社として設置した北海道不動産(62年に商号変更し北炭観光開発㈱)で、いまのグランビスタホテル&リゾートである。この経過は「日本観光史:会社編」に詳しく、丹念な年表の他に、冒頭で
札幌グランドホテルが絵葉書で紹介されている。
 北炭といえば萩原吉太郎(1902-2001)。慶大理財出身だが非常に成績がよかったという。三井合名に就職し、1939年、つまりは37歳のとき北炭に転職。私淑していた島田勝之助(三井合名常務理事から北炭会長)に殉じた形になる。
 北海道は明治維新のときから三井の牙城だった。北炭の創業は1889年北海道炭礦鉄道(1893年に北海道炭礦汽船に商号変更)であった、もともと政府からの鉄道払下げ受け皿会社として設立された。幌内炭鉱・幌内鉄道(幌内-小樽間)・幾春別鉄道(幌内-幾春別間)を経営していたが、鉄道国有法に伴い06年に国に売却された。
 終戦後三井財閥は解体。北炭の関係会社北炭観光開発㈱が後(71年)に三井観光開発を名乗れたのはこの縁に拠る。47年北炭常務、55年社長。エネルギー革命で石炭産業が斜陽、かの三井三池争議が53年と59-60年に起きている。それで北炭は北海道不動産を軸に、宿泊やゴルフ場事業の直営や経営受託に進出、M&Aを繰り返し成長した。この鴨川シーワールドもその一端である。

             

 ただ、萩原は千葉の松戸・小金の生まれである。小金と鴨川はだいぶ離れてはいるが、あるいはひょっとしたら鴨川グランドホテルの先代も影響を受けたかもしれない。また、内房の東京ディズニーランド(オリエンタルランド)や京成電鉄は三井の色彩が残る。
 萩原没後、むりな投資が露出、また三井との縁も薄くなり、2007年、三井観光開発㈱が㈱グランビスタ ホテル&リゾートに商号変更、それに前後して、施設名から三井のブランドが外れていった。三井住友銀行としても引導を渡すべく2011年に企業再生支援機構に企業再生の支援を申請し、2012年2月に支援が決定した。
 鴨川シーワールドが萩原氏の事業の傘下に入ったことがトクだったかどうかはわからない。しかし支援機構の支援期間は3年間、これで道筋がついた。鴨川シーワールドの海獣たちはやっと落ち着きを取り戻し、屈託なくトレーナーと遊べるのではなかろうか。