◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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クラブライフのお誘い②

 【安房鴨川の吉田屋旅館のこと】
 シーワールドや菜の花は咲くにしても、どうみても安房鴨川に集客可能なこれといった特色があるとは思えない。
 しかし昭和初期、安房はおろか全国に名だたる吉田屋旅館があったのだ。城郭としては小規模だが、城とも見まごう堂々たる純日本式三層楼(木造3階建て)に、次の間・両縁側付の通風と採光が優れた海を眺めるにふさわしい36の部屋を設け、安息所として訴求していたのである。

 房総とは上総と安房のことで、この部屋から眺める北東の海こそ上総と安房の国境、そこから南西に見える太平洋は、類例のないほどに「澎湃」たる眺望なのだと訴求した。秩父宮など4皇族が来訪している。
 実は、南房州鴨川海岸は東向きである。朝日が勝負の海岸であるから、日の出愛好家にはたしかに垂涎の的となる。当時は水着の走りで日傘は貴重品であった。地曳網はともかく、座敷から水着で海岸にお出かけになれるというのは、たいへんモダンなことであったし、麻雀やビリヤードのあった城郭まがいの3層楼は意外に開放的な空間であったと推定できる。
 昭和初期といえば1930年前後、アメリカはモータリゼーションのさなかにあったが、おなじ高度成長国の日本ではまだ鉄道の時代であった。両国橋駅から西線の外房経由で4時間半で1.92円、東線の内房経由で4時間2.31円、東西一周は10時間3.93円(途中下車2回可能)。1923年の関東大震災以降、都内の西に住む人が多くなったが、主流の下町に住んでいたとしても、両国橋までの時間を考えると、かなりの移動時間である。
 吉田屋旅館の2食付が3-5円、東京からカップルで出かけて2泊するとざっと25円くらい。山手線1周開通の1925年をもって東京に月給取りが定着したとすると、ひとつのめやすだった月給100円(初級将校の俸給)をクリアし、その上の階層にいるホワイトカラーなら、贅沢ではあってもまったく負担できないことではなかった。
 当時の一流旅館からベテラン女中さんが多数輩出したことは容易に想像できよう。

 【吉田屋旅館が鴨川グランドホテルになるには】
 実は、かなり珍しい例と思うのだが、(株)鴨川グランドホテルは1990年に株式を日本証券業協会に登録、現在も大阪証券取引所JASDAQ(スタンダード)に株式を上場していて(上場コード9695)、よって経営はかなりガラス張りになり、有価証券報告書からいろいろなことがわかる。「またどうして・・・」と尋ねると「先代のしわざ」という。
 先代とは取締役相談役の鈴木政夫氏(1925年10月生まれ現在86歳)で38歳で吉田屋旅館の社長に就任、2006年、81歳で相談役に引くまで頑張っていた。その沿革によれば、1965年、つまりは社長就任して2年後、40歳の折に「吉田屋旅館を閉鎖売却し、ホテルを新設して株式会社鴨川グランドホテル(千葉県鴨川市所在)に商号変更」とある。
 鴨川の街なかにあった吉田屋旅館を同業者に暖簾ごと売却、防風保安林を超えて海岸側に新規開業を構想した。現社長の健史氏は若干8歳。いうまでもなく地元の人々は唖然としたろうが、ご本人は成算で胸がいっぱいであったに違いない。
     
 想定する理由は2つ。ひとつは、この南房州安房海岸は、終戦後進駐したアメリカ軍の兵士にとってサーファーの好適地であったこと、吉田屋旅館は彼らの宿泊施設となり交流が生まれたこと、そして日本サーフィン発祥の地になっっていったこと、ちなみに66年7月11日に第1回全日本サーフィン大会が開催された。さして特徴のない鴨川海岸はリゾートに変貌する大変な契機をつかんだのである。先代政夫氏がこの予兆に気付かないはずがない。そしてアリューシャン列島付近に発生した低気圧が産みだす世界最高の波がハワイ・ノースショアにあることも知る。政夫氏のハワイ通いが始まり、リゾート経営の波に乗ることを会得したというべきであろう。
 ハワイもまた右上がりであった。ワイキキのベット数と航空旅客輸送能力はぴたり一致する。ジェット化とジャンボ化が旅客輸送力を加速的に高めたかたである。
⇒③に続く