◆緊急告知

関東通産局は、特定商取引法に違反する行為により、リゾートクラブを含む複合会員権を連鎖販売する㈱リゾネットに対し、15か月間、業務停止命令。会員を勧誘したら儲かるとか、会員はいつでも割引で泊まれるとかには要注意!
㈱リゾネットは当協会の「リゾネット」とは関係ない・・・e-Commerceを舞台にした新たな事案
 

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クラブライフの薦め⑦

【高速道路に新幹線 那須に開発が進み観光地化】

 戦後の温泉街や牧場が活気づくには少なからぬ時間がかかる。1950年に塩原町、日光国立公園の一部に指定され、53年に塩原町役場庁舎新築(4年後の門前大火で焼失の運命にあった)、合併が進み新・黒磯町、西那須野町、塩原町が誕生した。

 戦後のこの地の特色は、ひとつに交通網の充実である。細部は省略して主だったものを並べると、1959年在来線電化(宝積寺・黒磯間)、65年塩原バレーライン舗装、68年東野鉄道廃止(もともと金丸原陸軍飛行場の軍事物資輸送)、72年日塩もみじライン開通(日光塩原間)、74年東北縦貫自動車道・矢板白河間開通、西那須野塩原IC開設、76年黒磯バイパス、81年地方道の国道400号昇格、82年東北新幹線開通・那須塩原駅(旧東那須野駅)開業。86年野岩鉄道会津鬼怒川線開通・上三依塩原開業(これは市の年表にはない)、07年地域「ゆ~バス」が運行開始した。東京・日本橋を起点にすれば那須も塩原も180㎞台、計算上は3時間以内である。

 【後退する団体宴会客 登場する滞在客
 つぎにしばらくして起きる高度経済成長、そのあとしばらく続く安定成長である。設備投資した温泉旅館にとって最高の客は観光バスで乗り付ける宴会団体客である。日に何台の観光バスがわが旅館の駐車場に並ぶか、そのためには何をすればいいのかを競いあった。事業者の普請道楽は経営力の基盤でもあり一概に否定できないものの、多くの旅館に多額の有利子負債と過大なパブリックスペースを残した。この償却は膨大な数の団体宴会客が可能にした。

 大正から昭和初期までの団体宴会客は、大東亜戦争前後の統制経済期を除き、89年12月にピークを迎えた90年バブル崩壊まで続いた。売上最高記録は94年前後に出て、その後は宴会団体客が低減しはじめ、徐々に個人客が主流になる。そして那須と塩原を比べらたら、塩原のほうが宴会団体客に依存したウエイトが高かったであろう。現状はその反動にあるのかもしれないのである。

 さりながら、宴会団体客の他に個人客も増える。これは、社団法人日本リゾートクラブ協会にとってはむしろ歓迎すべきことであった。きままな個人客は1泊、あるいはそれもしないで日帰りするかもしれないけれども、ひょっとすると、7泊8日、まるまる1週間、滞在していただける、あるいは1週間は無理でも2泊でも3泊でもして滞在を味わうかもしれない。宴会団体客の長滞在は、コンベンションのような催事でもない限り、集団力学的にも不可能だが、個人客には、コンベションがあろうがなかろうが、その可能性がある。リゾートは観光(観光対象を回って動くturn)をも歓迎するが、その本意は滞在(stay)を楽しんでいただくことにある。リゾートクラブの施設や運用には、何らかの程度に、その滞在機能を充足する仕掛けがある。それゆえに設置施設費用の一部負担や利用料の先払い的な意味を持つ入会金や維持費があり会員制につながるのである。⑧設計者との対話 付:紀鉄のイベント

逆杉 頂部 塩原八幡宮